この度の民法(親族関係)の大改正が、法律や税務の実務に多大な影響を及ぼすことは間違いありません。相続税法も自ずとその影響を受けることになるかと思いますが、民法(親族関係)は、我が国の「家族観」が色濃く表れた法律ですから、時代の変化に従って改正がなされることは必然だったと思われます。今回は、山崎豊子の『女系家族』における遺言を見ながら、我が国の家族観の変遷を感じてみたいと思います。

「女系を重ねることは固く戒め申し候」

山崎豊子『女系家族』(新潮社1966、初出文藝春秋1963)は、胎児認知という制度を巧みに操り繰り出した作品であるといってもよいでしょう(野上孝子『山崎豊子先生の素顔』32頁(文藝春秋2018))。

『女系家族』は、船場の木綿問屋の四代目矢島嘉蔵の死を巡っての相続問題がテーマとされた作品です。以下では、嘉蔵の2つの遺言書を見てみましょう。

まず、最初に発見された遺言書には、「煩悩と不徳の至すところから、七年前より子儀が面倒をみ、世話をして今日に至りおります陰の女が御座候」として、「この女にも何分のものを相つかわれて度く」と書かれていました。

他方、嘉蔵は亡くなる前に、胎児認知をしており、戸籍謄本がそれを証明しています。
そして、日時の新しい別の遺言書には、無事に出産した場合には、「非嫡出子として法の定むるところによって嫡出子の二分の一の遺産を相続すること。但し、男児出産の場合は、成年に達するを待って、矢島家の暖簾を千寿〔筆者注:嘉蔵の次女〕夫婦と共に継ぎ、共同経営を致すべく候」と書かれていたのです。その最後には、「この上さらに女系を重ねることは…固く戒め申し候」とまで記載されており、長く続いた女系家族の血統を断つべきことが書かれていたのです。

嫡出子と非嫡出子の法定相続分

さて、嫡出子と非嫡出子の法定相続分の取扱いの相違について違憲判断を下した最高裁判断として非常に注目を集め、民法大改正のきっかけの一つになったともいわれた最高裁平成25年9月4日大法廷決定(民集67巻6号1320頁)は次のように述べています。

「嫡出子と嫡出でない子との間で生ずる法定相続分に関する区別が、合理的理由のない差別的取扱いに当たるか否か〔について、〕そのような区別をすることに合理的な根拠が認められない場合には、当該区別は、憲法14条1項に違反するものと解するのが相当である。」

このように、民法900条《法定相続分》4号ただし書の規定のうち、嫡出でない子の相続分を嫡出子の相続分の2分の1とする部分(平成25年法律第94号改正前)は、遅くとも平成13年7月当時において、立法府の裁量権を考慮しても、嫡出子と嫡出でない子との法定相続分を区別する合理的根拠は失われていたことにより、憲法14条1項に違反していたとしています(なお、住民票の記載につき最高裁平成25年9月26日第一小法廷判決・民集67巻6号1384頁も参照)。

この最高裁の判断を受けて、平成25年12月5日に民法の一部を改正する法律が成立し、嫡出でない子の相続分が嫡出子の相続分と同等になりました(同月11日公布・施行)。
すなわち、このような法改正の後においては、上記のような遺言は「法の定むるところ」ではなくなったというわけです。

民法(親族関係)改正

また、平成30年に改正された民法(親族関係)改正によって、特別の寄与者に対する遺産分割も規定されることになりました。これにより、仮に、婚姻関係にない者であったとしても、被相続人の財産形成に寄与をしていたと認められる者については、遺産の分配が可能となります。

嘉蔵の遺言では、「男児出産の場合は、成年に達するを待って…共同経営を致すべく候」とし、男児誕生の場合のみ共同経営の余地を認めるとしているわけですが、このような扱いは、今日的な社会的認識とはズレのあるところでしょう。山崎文学の当時と今日的な相続の風景がずいぶん変わっていることを認識することができるのが、矢島嘉蔵の遺言です。