世界の会計人は、どんな暮らしをしているのでしょうか。KaikeiZineは、日本ではあまり知られていない海外の税に関するコラムや、海外の会計人のリアルをお伝えするため「旅人会計人 地球紀行」と題する連載を始めます。
レポートするのは旅するUSCPAの三矢さん。初回の今回は自己紹介も兼ねて、ご自身のキャリアやこれまでの旅を、振り返っていただきました。
KaikeiZineをご覧の皆さま初めまして。2年半以上無帰国で世界を放浪中の三矢【@hideto328 】と申します。ぼくは今、西アフリカのセネガルの首都ダカールにいます。

米国公認会計士(USCPA)の資格を取得後、即海外へ

「KaikeiZineになんで住所不定無職が出てくるんだよ」と、訝られた方のために簡単に自己紹介をさせてください。
ぼくは、新卒で証券会社に就職しました。入社して約半年後からは3年前に退職するまで、一貫して支店内の法令遵守体制の構築、いわゆるコンプライアンス業務に従事していました。
一方では、在職中により専門的なスキルを求めて、働きながらUSCPA(米国公認会計士)資格の勉強を開始しました。もともと海外旅行が好きで、いずれは海外で働いてみたいという思いを持っていました。英語の勉強もかねて、日本の公認会計士試験ではなく米国公認会計士を受験することにしたんですね。
それが、何を思ったか一部科目合格した段階で、長期旅行に出る決心を固めてしまいます。あれは確か、沢木耕太郎さんの『旅する力 深夜特急ノート』を読み返していた時だったと思います。
彼は彼が望んだ旅の「適齢期」を逃してしまっていたのだ。
この言葉が胸の、これまで以上に深いところに突き刺さりました。
20代の旅は20代でしかできない。同じように50代の旅は50代にしかできない。50歳になって20代の旅をしたいと思っても遅い。同じく沢木さんが書かれた旅行記『深夜特急』の冒頭の言葉を借りれば「これはもうぐずぐずしてはいられない、と思ってしまった」のです。
元々いつ辞めてもいいように貯めていたのでお金はありました、それから3ヶ月後、証券会社を退職。残りの全科目合格しUSCPA(Inactive)ライセンスを取得すると、すぐに日本を飛び出してしまったのです。
2年半以上無帰国長期旅行中
2013年の11月に日本を出国して早2年半、一度も日本に帰国することなく海外を旅行し続けています。
「なにか目的でもあるの?」ってよく言われます


そもそもなんで安定している仕事を辞めて、海外に飛び出してしまったのか。
元々高校時代、世界史の授業が大好きで、その舞台を自分の目で見たいという思いを強く抱いていました。そして、大学、社会人と短期でのバックパック旅行を繰り返していたのですが、働きながら休暇で行くには、ぼくには休みが短すぎ、世界はあまりにも広すぎました。
会社を辞めて、長期旅行に出ることを告げた時、「辞めてどうするんだ?」とか「なにか目的があるのか?」とか色々聞かれましたけど、そんなものはありませんでした。
ただ、行って、見て、食べて、飲んで、感じたい、それだけでした。
反対されると思っていた両親からは「あんたのことだからどうせ止めても聞かないんでしょ」とすっかり呆れられました。まあ、いいでしょう。ぼくの人生です。
いくらUSCPA(米国公認会計士)の資格を持っているからといって、いざまた働こうと思った時に、再就職するのは非常に難しいでしょう。特に日本という国は。でも、まぁなんとかなるんじゃないでしょうか。たとえなんとかならなくてもなんとかするしかないんですし。それに世界を2年半旅してぼくは確信しました。なんとでもなる、と。
これからも、資金が底をつくか旅に飽きるまで(今のところ、まだまだ世界は魅力的です、というか行きたいところがどんどん増えていって困ってます)は、日本に帰らず、旅を続けたいと思っています。