父と金
ところで、田中角栄は、幼い頃、自分の父親が競走馬を育てることに没頭して作った借金60円を払うため、親たちが婚姻をさせる腹積もりのあった家からお金を借り、そのお金を持って列車に乗り、父親のところまで届けたといいます(石原・前掲書8頁)。子供に無心をさせて借金の工面をさせるというのはひどい話ですが、渋沢栄一の若い時分にも、父と金を巡る面白い逸話が残されています。
代官が、農民である渋沢栄一の父に出頭を命じたとき、父親が風邪をひいていたので、17歳の栄一が出頭しました。代官屋敷では、お姫様のお輿入れの御用金を申しつけられたところ、「父の名代で参りましたので」と言って、その命令ににわかには承知しなかったそうです。
「領主は定期的に年貢を取り立てていながらなぜ農民から不時の金まで取り上げるのだろう?」という疑問をして、彼は代官の要求を頑なに拒んだというのです(澁澤秀雄『澁澤榮一』40頁(時事通信2019))。
親戚に無心に行き、工面をして父親を救貧した角栄にしても、父の名代として臨時の負担を必死に断った栄一にしても、若くして金回りの苦い経験を持ち、その後に、国家の財政を左右する大人物になっているのです。
上記のとおり、渋沢栄一は新一万円札の顔になるわけですが、日本の揺籃期を支えた偉大な実業家として、これから再び注目を浴びることになるでしょう。では、近代日本政治史を語るには欠かせない田中角栄が、国会中央広間の4つ目の台座に登る日、あるいは、新紙幣の顔を飾る日は来るのでしょうか。残念ながら、田中金脈問題(早野・前掲書271頁)やロッキード事件(同304頁)を想起せざるを得ない彼には少し難しいかもしれませんね。
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