今回ご紹介するのは、公認会計士・毛糸氏。大手監査法人にて外資系投資銀行監査、クオンツ業務を経験後は独立系会計事務所で経理・決算支援に従事。2018年からはプログラミング言語Pythonに関心のある公認会計士(CPA)が集まるPyCPA(パイシーピーエー)を主宰し、業務の傍ら大学院にも通う異色の実力派会計人だ。「複式簿記600年の歴史に秘められた会計の本質を知りたい」と語る毛糸氏の、これまでのキャリアと探求心に迫ります。(取材・撮影:レックスアドバイザーズ 市川)

その他大勢になるな。専門性を身に着けるため公認会計士の道へ
公認会計士を目指したきっかけを教えて下さい。
毛糸:公認会計士を目指したのは大学生のときですが、そのきっかけは高校の卒業式の日、恩師から言われた「その他大勢になるな」という言葉でした。大学生活をどう過ごせばいいかという質問に対して頂いたこの言葉がとても印象的でした。大学入学後しばらく、どうすればその他大勢にならないのか分からないまま過ごしていましたが、2年生のころ偶然受講した会計士予備校のお試し講座で「これだ!」と思い受験を決意しました。
公認会計士は会計のプロフェッショナルなので、その専門性を磨けば「その他大勢」ではない自分になれるかもしれないと考えて目指し始めました。試験合格したのは、大学卒業後に入学した大学院、MBA課程の2年次のときです。
公認会計士の勉強を始めた当初は、正直にいうと簿記が面白くないと感じていました。簿記の勉強は、イメージとしては筋トレに近いんですよね。理屈を知って好奇心を満たすまでは楽しいのですが、そのあとに反復練習をしないといけないのが退屈に感じてしまいました。当時は会計士試験の勉強よりも大学の勉強の方に夢中で、恥ずかしい話、大学3年生の頃には予備校の個人棚が撤去されるほど全く通学しませんでした(笑)。今はこんなに公認会計士の仕事も簿記も興味を持って楽しんでいるのに、不思議ですよね。
ただ、3年生の後半になると、周囲が就職活動をし始めます。そのときに、恩師の言葉がもう一度頭を過りました。自分はこのまま周りと同じように就職活動をしていいのか?プロフェッショナルになるんじゃなかったのか?そう気づいて、4年生からやっと勉強を再開しました。
大学卒業後は会計士試験に専念するという選択肢もありましたが、大学院に進学しました。会計士試験に合格し、監査法人に行けば周囲は全員、公認会計士です。その中で「その他大勢」にならないためには何か得意分野が必要だと思い、大学院でファイナンスの研究をしました。投資戦略やデリバティブ価格に理論的な裏付けを与える研究に、とくに興味を持っていました。現在ではストック・オプション評価業務などにファイナンスの知識が活かされています。

PyCPA発足―探求心は会計×ITの領域へ
合格後、有限責任監査法人トーマツ(以下、トーマツ)に入所されました。こちらではどのような業務を担当されましたか?
毛糸:大学院までの学びをフルに活かそうと思いトーマツの金融部に入所をしました。金融機関の監査を担当し、やりがいも感じていたのですが、自分が仕事を頑張るとクライアントの負担が増すという葛藤に悩んでしまい…。モヤモヤを抱えながら2年ほどが過ぎた頃、監査と兼務してコンサル部門でデリバティブ・システムの検証業務を担当することになりました。今でもはっきりと覚えているのは、案件が無事に完了したときに、マネージャーを通じてお客様から「ありがとう」の言葉をいただいたことです。この言葉が、今まで感じていたモヤモヤを一気に吹き飛ばすほど嬉しいものでした。
このときに、自分が仕事に何を求めているのかがはっきりしました。自分の専門性が活かして、お客様に喜んでいただけること、これが重要なのだと確信しました。当時の私には、監査でのフラストレーションを解消する方法が見つけられませんでした。解消するには環境を変えるしかない。自分の専門性をお客様のために発揮し、会計プロフェッショナルとしての可能性を狭めないところという条件で転職先を探して、決算支援を行う現職に入社しました。27歳のときです。
入社当時はそれほど自分にITの強みがあるとは意識していなかったのですが、実際にお客様のお手伝いをする中でプログラミングスキルが顧客満足度を上げることを知りました。ExcelやITツールの活用がお客様の負担を軽減させると気づけたのは、やはりお客様のために全力で仕事ができる環境だったからこそです。
現在入社して5年が経過しましたが、ターニングポイントは海外の会計基準が変わったときですね。私は海外会計基準の決算を支援しているので、基準変更があればいち早くキャッチアップしなければいけません。決算支援といっても論点をコメントするだけではなく、Excelの作業シートに落とし込むところまでが私の業務。最終的にどんな会計処理になるべきかを思い描いた上で、お客様と二人三脚で実際の業務にまで落としこむことができるのが弊社の強みです。
とはいえ、海外基準の改正なので日本で事例はなく、他社を真似することはできません。会計基準やその解説資料は英語で、他に聞ける人もいない…。だから自分の公認会計士としての知識を総動員して、あるべき会計処理はどうなるのかをお客様と一緒に考えました。ゼロからの業務構築でしたのでITリテラシーも求められ大変でしたが、とてもいい経験でしたね。
海外会計基準の決算支援では、日本基準から海外基準に会計数値の修正(コンバージョン)を行います。この業務では、連結・単体という軸、日本・海外基準という軸、会計基準の変更前・後の軸など、多様な切り口で会計処理を考えます。もちろん、期首・期末、借方・貸方という軸まで…。要は次元が非常に複雑化しています。しかしそれでも複式簿記は、きちんと貸借が一致し、整合するように仕訳が切れるんです。これって不思議だと思いませんか?この疑問をきっかけに本格的に研究を開始するのは、また少しあとの話です。
2018年にPyCPAを立ち上げられています。これはどういったきっかけでしたか?
毛糸:現職の会社はとても恵まれた環境で、残業も少なく、オフシーズンはのびのびできます。そのオフシーズンに自己研鑽をしっかりやりなさい、という方針なので当時流行っていたディープラーニング(機械学習の手法のひとつで、昨今の人工知能(AI)の急速な発展を支える技術)を勉強してみることにしました。
「PyCPA」という名前はPython(パイソン)というプログラミング言語からきています、Python×CPAですね。Pythonはデータサイエンスに使えるプログラム言語なのですが、会計でも「データ」をたくさん利用します。だから公認会計士がPythonでデータ分析をすれば、我々の仕事の幅が広がるのではないかと思い「よかったら一緒に勉強しませんか」とTwitterで仲間を募りました。すると賛同してくれる人が現れ、場所を貸してくれる人も現れ、それからは継続的に勉強会をしています。
PyCPAではITと会計に関するそのときどきのホットトピックを発表し合ったり、IT×会計の有名人を招いてお話をしてもらったりしています。「監査でお客様からデータをもらったときに、効果的・効率的に情報を抽出するためにはどんなツールを使ったらいいか」「中小企業の会計システムはどういうものを使ったらいいか」といった実務的なことも意見交換しています。
ここでの多様な会計人との出会いは、私にとってもう一つのターニングポイントとなりました。彼らは自分が興味を持ったことを突き詰めている。好きなことはどんどん学んでいいのだ。そういう生き方の素晴らしさを、彼らから学びました。

“好きなこと”を極めていきたい。複式簿記を研究する理由
2021年9月から大学院博士課程に入学されています。
毛糸:「複式簿記の代数構造とテクノロジー」を研究テーマに入学しました。簿記が普及したのは14世紀でルネサンス頃、600年もの歴史があるのです。レオナルド・ダ・ヴィンチも「簿記の父」と呼ばれる数学者ルカ・パチョーリに教えを請うたらしいですよ!
その一方でクラウド会計システム、ビッグデータ、AI、ブロックチェーンという新しいテクノロジーがどんどん生まれています。600年の歴史がある複式簿記と、この10年ほどで生まれたテクノロジーをどうやって結び付けたらいいか、理解している人は多いとは言えません。複式簿記を会計のデータベースに落とし込むことはできるのです。しかし会計システムを変更するときにバグが起こったり、データを呼び出すのに時間がかかったり、管理がしにくいといった問題は依然存在します。AIやブロックチェーンといった新しい技術を使う際にも、簿記をどうやって組み合わせたらいいのか分からない…。
また、会計情報をAIに学習させようと思ったら、複式簿記の形式で得られる情報をデータにしてあげないといけませんよね。しかし機械は借方・貸方なんて言葉は知りませんし、資産・負債という言葉の意味も知りません。簿記や会計をどう定義し、どう学習させたらいいのか、答えが出ていません。そんな状況を変えたいんです。
海外基準の変更に伴う大仕事をしたときに、私は複式簿記の本質を知りたいと思いました。私が知りたいのは複式簿記のコアのコア、実社会の簿記を極限まで抽象化したあとに残る簿記と会計の本質です。それを曖昧性のない数学の言葉で表したいと思っています。たとえば赤という色は、光の波長で明確に「どこからどこまでが赤である」と定義できます。それと同じように、私は複式簿記をはっきりと定義し本質を示したいのです。
もし複式簿記の本質が見えたら、今まで見えていなかったものが見えるかもしれません。例えば会計以外の分野で複式簿記を使うことができるかもしれません。今ある会計システムよりずっと使いやすいシステムを提示できたり、借方貸方・勘定科目以外の複雑でリッチな情報を複式簿記が持たせることができる可能性もあります。そうなれば、複式簿記はさらに有用な技術になるでしょう。
複式簿記には「特殊」がありません。どんな業界でも会社でも、適用する会計は違えど、複式簿記の構造は同じです。冒頭にお話したような「その他大勢」が使っている複式簿記には、オンリーワンな普遍的性質が隠れているといえます。もしかすると、私が複式簿記に魅了されたのはそういった普遍的なものを見出したかったからなのかもしれません。
「その他大勢」から抜け出すためにはどうすればいいのか。
最近思うのは、誰に何を言われようと、好きなことを自分が納得するまで探求し、心を満たし続けることなんじゃないかなと思っています。
「好きなことを探求し続ける」と結果的に誰よりも詳しくなるので、オンリーワンに繋がり「その他大勢」から抜け出せます。私自身、自分が好きなことを突き詰めていき、結果として社会貢献できるよう探求を続けていきたいと思っています。
【編集後記】
幼いころは科学者に憧れていたとも話されていた毛糸さん。好きなことを話すその姿はとてもイキイキしていました!毛糸さん、ありがとうございました。
公認会計士/毛糸
決算支援の公認会計士。博士課程で複式簿記を探求中、簿記代数の名付親。
国内MBA修了(ファイナンス)。Big4で外資系投資銀行監査とクオンツ業務のち、独立系会計事務所で経理・決算支援。ストック・オプション、種類株の評価。Python、VBA。会計士協会東京会IT委員。会計×ITコミュニティ PyCPA 発起人。
Twitter:https://twitter.com/keito_oz