KaikeiZineをご覧の皆さまアッサラーム・アレイクム!(こんにちは!)旅人会計人の三矢(@hideto328)です。この連載「旅人会計人 世界紀行」スタートから4記事目…ついに!西アフリカのギニア・コナクリで初インタビューにこぎつけました!

日本居住歴もある現地在住者にインタビュー!

西アフリカでは英語がほとんど通じないことに加えて、街中では会計の話ができそうな人もなかなかいない……。それでも、そろそろインタビューにこぎつけたい…と思っていたところ、ギニアの首都コナクリで、幸運にも現地在住の日本語ペラペラなセネガル人Nさん(仮名)と知り合うことに!
彼は日本に留学に来た後、日系企業で数年勤務し独立。外務省やJICAなどとのコネクションを築き上げ、現在はアフリカでビジネスをしているとのこと。Nさんならばインタビューにうってつけ。アフリカが抱える課題や税制、ギニアでのビジネスについて、話を聞いてみました!
ギニア・コナクリってこんな国

と、その前に、ギニア・コクナリについてごく簡単にご紹介。
オスマン・サンコンさんの故郷でもあるギニアは西アフリカ諸国のうちギニア湾に面した比較的大きな国。「西アフリカの給水塔」とも呼ばれ、雨季はもの凄い量の雨が降ります。
日本では一般に「ギニア」と呼ばれますが、隣国のギニア・ビサウと紛らわしいので、現地では首都のコナクリを付けて「ギニア・コナクリ」と呼ばれることも多いです。ここではギニア・ビサウとの混同を避けるため「ギニア」と書いたものは「ギニア・コナクリ」を指すこととします。
ギニアは多くの西アフリカ諸国と同じように元々フランスの植民地でした。しかし独立時にフランスからの完全独立を目指したため、セネガルの回でご紹介した西アフリカの共通通貨セーファーフランではなく、独自のギニア・フラン(GNF)という通貨を使用しています。訪問時の為替レートは1,000GNF≒12円でした。公用語はフランス語です。
元々アフリカ人はひとつだった!パン・アフリカニストにアフリカの理想のあり方を聞く
さてインタビュー冒頭、Nさんは自身が「パン・アフリカニスト」であるとし、アフリカ全体の話をしてくれました。
パン・アフリカ主義とはWikipediaによると、
パン・アフリカ主義(パン・アフリカしゅぎ、Pan-Africanism)は、アフリカ大陸の住民及び、全世界に散らばったアフリカ系住民の解放及び連帯を訴えた思想。アフリカ諸国独立のきっかけとなり、アフリカ統一機構およびその後継機関のアフリカ連合を生み出す精神的母体となった。
パン・アフリカ主義 – Wikipedia
とあります。Nさんの言葉を借りると、パン・アフリカ主義とは「アフリカは統一されないと発展できないという考え」だそうです。

Nさんは続けます。
セネガルの歴史家シェイク・アンタ・ジョップ(Cheikh Anta Diop)が古代エジプト人の広がりや同じ語源の単語を研究した結果、アフリカ中の民族は元々同じ民族だったと結論づけた。
にもかかわらず、西欧列強に分断された今のアフリカの国は一つ一つが小さすぎ、本来持っている力が発揮できなくなっている。西アフリカ8ヶ国で使われている共通通貨のセーファーフランの相場がユーロに固定されていることが象徴しているように、いまだに旧宗主国の影響力が強く、自分たちでコントロールできない状態に置かれている。
アフリカが自分たちの力で発展していくためにも、アフリカは統一されなければならない。
熱っぽく語るNさんに、ぼくは徐々に引き込まれていきました。
アフリカはなぜいつまでも貧しいのか−植民地支配と共産主義と内戦

ギニア・コナクリは1958年10月にフランスから独立しました。その際ギニアの初代大統領セク・トゥーレは「隷属の下での豊かさよりも、自由のもとでの貧困を選ぶ」と述べ、フランスからの完全独立を目指しました。
フランスは独立を認めましたが、ギニアからの撤退時に道路、電線、食料、テレグラフ、電話などギニア・コナクリのインフラをすべて破壊。そのためギニア国民は今でも複雑な対仏感情を抱いているそうです。
独立後セク・トゥーレはフランスに政権を倒されないように鎖国政策を敷きました。そしてその鎖国時代は、セク・トゥーレが亡くなり2代目ランサナ・コンテ大統領が国を開放して民主主義を導入するまで、約30年間続いたそうです。
鎖国時代はソ連に近づき社会主義路線を取っていたため、当時のギニア人エリートはソビエト、ルーマニア、チェコなどに留学していたとのことでした。
さて、西アフリカというと内戦を思い浮かべる人も多いのではないでしょうか? ギニア・ビサウ、シエラレオネ、最近では2010年代にコートジボワールでも内戦がありました。

Nさんは言います。「内戦を経験すると仕事が分からなくなる。戦っていれば働かなくても生きるには困らない。だから働き方が分からなくなるんだ」と。
たしかに世界最貧国が固まっている西アフリカの中でも、内戦を経験している国はひと際経済的に貧しい国が多かったように感じました。
Nさんから教えてもらった歴史の話の中で、ぼくが個人的に面白いなと感じた話があります。
それは「今の西欧は植民地支配の上に成り立っている」という話です。
英仏西蘭などの西ヨーロッパが栄えているのは、植民地から吸い取った資産があるから。例えば、ロンドンの大英博物館やパリのルーブル美術館には世界中の素晴らしい美術品が収蔵されています。そして、それらの多くは植民地から持ってきたものであることも少なくないのです。
また、セーファーフラン流通圏の経済はフランスが握っています、望むと望まぬとに関わらずフランスと商売しなければならない。イギリス連邦もしかり。旧植民地は旧宗主国であるイギリスやフランスと(しばしば不平等な)ビジネスをしなければならない仕組みができていると熱く語っていました。
仕訳も財務諸表もなし?ギニアの会計事情

ギニアを中心に西アフリカの会計事情についても話を聞いてみました。
まず、ギニアの給与水準について。給与水準は公務員と民間企業でだいぶ異なり、大卒初任給(月収ベース)で、
公務員:120万~200万ギニアフラン(1.44万~2.4万円)
民間:200万~300万ギニアフラン(2.4万円~3.6万円)
くらいが相場だそうです。一般に通信、鉱山、民間技術者は高い給与をもらっているようで、海外留学経験者などでは大卒初任給で10万円以上の人もいるそうです。
次に会計制度や税金に関して。前回、フランスの旧植民地はフランスの会計制度をベースにしているという話を紹介しましたが、セネガルはほぼフランスそのままの会計制度を採用しているとのことでした。一方、ギニアはフランスとロシアの会計制度をミックスしたものを採用しているそう。こんなところにも社会主義路線を取っていた時代の名残があるのだな、と妙に感心しました。
税金の細かい話までは聞くことができませんでしたが、一つ印象的だったことがあります。それは個人商店の税金は収支にかかわらず、一律に決まっているという話です。ギニアに限らず、開発途上国の個人商店では絶対に仕訳なんてしていないだろう、と思っていましたが、やはりギニアでも基本的に仕訳をしたり財務諸表を作成したりということはしていないらしく、売り上げが多くても少なくても一律で徴収しているということでした。なんともアフリカ、というか途上国らしいなと感じました。
▽三矢氏twitter
https://twitter.com/hideto328
(関連記事)起業するならギニア!な理由を聞いてみた−ギニア・コナクリで初インタビュー!(後編)【「旅人会計人 地球紀行」第5回】