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【電卓持って世界一周!】海外で働きたいあなたへ送る5つのアドバイス~NYなう~

シンガポールで活躍した現役女性会計士が、電卓片手に、世界各地のNGOで会計士ボランティアをしながら世界一周! 旅の中での発見を、会計士目線で伝えていきます。今回はMBAの面接で訪れたNYから、海外で働くための5つのポイントを解説します。

生牡蠣>友達

今月はMBAの面接のために、南アフリカのヨハネスブルクからNYへ飛んだ。なんとストップオーバーなしの17時間フライト! 飛行機が給油なしでそんなに長く飛んでいられることにびっくりである。ガソリンが足りなくなって墜落するんじゃないかと、飛行中何度も不安な気持ちになった(笑)。

MBAの面接は無事終了し、アメリカ最後の夜には自分へのご褒美として、好物のオイスター&白ワインを賞味。これがもう、全米が泣くおいしさである。レソトはアフリカの内陸に位置しているため海がなく、この4カ月間、生の魚介を食べるなど夢のまた夢だったので、私にとっては感動ひとしおだ。

先日、私はレソトで『アフリカから日本に向けた歌』というのを作ったのだが、その内容は……

「牡蠣が食べたい 温泉につかりたい 家族と友達に会いたい」

という煩悩にあふれた内容であった。家族や友達との再会を超えて、牡蠣を食べることが筆頭だったので、いかに私の潜在意識下で牡蠣が大きなウェイトを占めているかが、知れようというものだ。誰がなんと言おうと、牡蠣はうまい!!!

 

生牡蠣最っ高!!!

『電卓持って世界一周!』の読者の方からお便りが届く

ところで最近、数名の若い方から「『電卓持って世界一周』の記事、いつも読んでいます。将来海外で働きたいのですが、どうしたらよいでしょうか?」というご相談をいただいた。「えっ、君たちどうやって私を探しあてたの!?」と驚いたのだが、皆さんフェイスブックで私の名前を検索してくれたらしい。

はぁ~、フェイスブックってそういう使い方もできるのね。私自身はSNSって、知り合いの近況を見るためだけに利用していたので、こうして新しい方からご連絡をいただき、目からウロコがポロポロである。若い人から学ぶことは実に多い。

日本人の「海外離れ」が指摘されることも多い昨今、皆さんが“海外で働く”という行為に興味をもってくれているというのは、とても喜ばしいことだ。今回はこうした志をもった人を応援するために、海外で働くためにどんなことを努力していったらよいか、5つのポイントにまとめて解説していこうと思う。

  • 国によって難易度は異なる
  • 努力・お金・時間をかける
  • 風向きを読め
  • よいご縁を大切に
  • 取捨選択する勇気

(1)国によって難易度は異なる

最初にお伝えしたいことは、外国で働く難易度は、国によって異なるということだ。なので、ご相談をいただいたときは「どの国で働きたいんですか?」という質問を最初にする。独断と偏見で言わせていただいて、いわゆる先進国で働くのであれば、就職の難易度は以下の通りだ。

アメリカ>イギリス>カナダ・オーストラリア・ニュージーランド>シンガポール・香港>東南アジア

「難易度」というのは、職を得る難易度ではない。労働ビザを得る難易度だ。逆にビザさえ得られれば、職自体は問題なく得られると考えていい。H-1Bという労働ビザが抽選でしかおりないアメリカが、おそらく働くという面では一番難しい。イギリスを含めたヨーロッパは、私は働いたことがないので、ちょっと情報が乏しいのだが、前職の監査法人のフィリピン人たちは何人か、UKの監査法人に転職していたので、不可能ではないのだと思われる。

カナダやオセアニアは、私が暮らしていた10年前は「ポイント制」というものを採用していた。職業やその国での就学経験等でポイントが加算され、一定点を超えるとPR(Permanent Residence)というビザが得られるという仕組み。PR がないと、企業側が外国人のスポンサーとなることを要求されるため、会社は採用をしぶることが多い。

シンガポールは、職を得ることができれば、労働ビザ(Employment Pass)は会社が申し込んでくれ、大体の場合1~2カ月で取得できる。ただし最近は労働ビザのハードルがだんだん上がっており、政府から却下されることもあるので、何度か申請できるよう、時間に少し余裕をみたほうが賢明だ。

東南アジアは、職さえ決まればビザはおりるであろうと思われる。余談だが、シンガポール在住の人間に最も人気の高い駐在先は、実はバンコクだ。リビングコストが安く、食事がおいしく、リゾートもたくさん! 英語ではなく、タイ語に囲まれる生活になってしまうかもしれないが。。。

バンコクはシンガポール在住者の必修科目! バンコクにいるのに日本食やスペイン料理を食べるようになったら、あなたもツウ♪

(2)努力・お金・時間をかける

では海外で働くためには、日本で何を準備すればいいのか。自信をもって2つ回答できるのは、

  • 英語力
  • 手に職(一言で説明できる職業スキル。業界なら金融、保険、不動産、ヘルスケア等、職種なら営業、IT、会計、法律、HR、マーケティング等)

である。

なにはさておき、英語力だ。同連載の第2回でも紹介したが、英語が話せないと、海外では働けない。日本で英語力を維持・向上させることの難しさは私も経験しているのだが、ぜひ英会話学校に通ったり、外国人の友達を作ったりして、努力してみてほしい。

「手に職」という点に関しては、私が取得したUSCPA(米国公認会計士)は、海外での就職活動に非常に有利な資格だった。会計は法律と違い、国による差異がほとんどないので、どの国に行っても働ける。「CPAは時間もお金も必要とする資格で、なかなか始める決心がつかない」というご相談もいただくのだが、私は早めにスタートされることを、おすすめしたい。迷っている人の背中を押すため、ある友人のエピソードを下記に紹介する。

私の親友に、日本の一流企業から派遣されて、シンガポールに駐在していた才女がいる。美人で性格もよく高学歴という、素晴らしいスペックの持ち主なのだが、まだ恋人募集中。

そんな彼女も27歳くらいのとき、USCPA取得を検討したらしい。しかし彼女は学校説明会まで行ったにも関わらず、結局、学習自体を断念した。その理由というのが、

「だってUSCPAなんて勉強したら、合コンに行く時間がなくなって、彼氏ができないって思ったんだもん!!」

「。。。」

今でも覚えているのだが、われわれはそのときシンガポールの川沿いで、美しい夜景を見ながら2人で飲んでいた。私は、うーん……とうなる。確かにUSCPA取得は、日本の大学受験と同じくらいの勉強量だ。決して楽に取得できる資格ではない。

いや、しかし。一瞬迷ったけれど、私はおそるおそる本音を口にした。

「。。。でもキミ、CPA取らなかったけど、今、彼氏いないじゃないか!?」

「本当そうなのー!! もうやだー、合コンには一生懸命行ったんだよ!? でも相手を探す努力が結果に結びつかなくて(笑)。こんなことなら合コンに行ってた時間ガリ勉して、CPA取っておけばよかったって思う!!」

「まったくその通りですね!!」

その晩は2人で「会計士試験はコミットすれば結果がついてくる分、恋愛に比べて費用対効果の高い努力」という結論を出し、幕を閉じた。20代のお嬢さんたち、ぜひ参考に!……して大丈夫なのかな、これ。

このような美しい夜景を見ながらそのような話題

(3)風向きを読め

海外で働きたいと思ったときには、「海外駐在で行くか(日本で会社に入って、会社に派遣してもらって外国に行くか)」「ローカル採用で行くか(外国の企業から直接採用されるか)」の2つの選択肢がある。その判定基準となるのは、景気の風向きだと私は思っている。

私がCPAに受かった2011年、日本の景気は、完全に逆風であった。リーマンショックの痛手から日本経済はまだ回復できておらず、さらには東北大震災&津波。日本の公認会計士試験に受かった人すら、BIG4の監査ポジションを得るのが難しい時代であったと記憶している。だから私は、監査のポジションを求めてシンガポールへ行った。

そして、シンガポールは当時好況に沸いていて、日系クライアントを拡大すべく、会計事務所が次々にジャパンオフィスを立ち上げたころだった。私は完全に、その風に乗ることができたといえる。

現在は、どちらかというと風向きは、日本に向いている時代だと思う。東南アジアの好景気が落ち着いてきてしまい、日本自体の景気も悪くないので、日系企業がそれほど頑張ってビジネスを海外へ拡大しようとしない。今の時代なら、私なら日本の大手会計事務所か事業会社に勤め、海外駐在を狙うと思う。

どの国でも駐在って2~3年で入れ替わるから、国を選ばなければコンスタントに空きが出るはずなので。アメリカやイギリス等の労働ビザがおりづらい国に勤めたい場合も、駐在の方がハードルは低い。

日経平均株価1万円時代の2011年。韓流ドラマ『冬のソナタ』や『宮(クン)』が爆発的に流行っていて、不景気そっちのけで同僚とよく韓国弾丸旅行へ行った

(4)よいご縁を大切に

海外就職に限らず、なにか夢を叶えたいときは、すでに叶えた先駆者にお話を伺うのが一番だ。たとえ直接的なサポートにならずとも、体験談は絶対に参考になる。だから海外で働きたいときは周りの信頼できる人に「海外で働きたいので、もし誰か知り合いの人がそういうことしていたら、紹介して!」と言いふらすといい。あと海外の人材紹介会社にスカイプで話を聞くもよし、海外就職みたいなイベントに出てみるもよし。ご縁ってそうやって、だんだん広がっていくものだ。

それと同じくらい大切なのは、心から信頼できるポジティブな友達を増やすこと。心から信頼できるかの判断基準は、自分が今日家を火事で失ったとして、その友達なら快く家に1週間泊めてくれると、確信がもてるかどうか(笑)。そういう友達は、たとえ海外とのつながりがなにもなかったとしても、人を紹介してくれたり、いざというときにあなたの夢を応援してくれる。

大きな夢を実現したいのであれば、異業種交換会に行って名刺配りまくったりするのでなく、そういうごく近い友達を1人、2人と、増やしていくことである。

USCPAの受験仲間たち。今でも友達。私の家が燃えたら1週間くらい自宅を提供してくれるだろう(笑)

(5)取捨選択する勇気

人生を生きるということは、30センチ大の箱を持って、うろうろ動いているようなものである。欲しいものがあれば、努力をすれば箱の中に入れられるが、世の中のすべてのものは入らない。なにか新しいものを手に入れたくば、なにか手放すしかない。

今まで「外国で働きたい」という日本の人をたくさん見てきた。でも大体の人は、実際には動かない。実現できないからではない。今持っているものが手放せないのだ。たとえば、東京の快適さや仕事の安定。たとえばパートナー。それで数年たって再会すると、まだ同じことを言っていたりする。「海外で働いてみたいんだよねぇ」と。

外国で働きたい人間が箱の中に必ず入れていないといけないもの、それは持ってるものを一度「手放す勇気」である。一度でいい。一度箱から出して、欲しければまた入れればいいのである。

たとえば数年海外で働いて、東京に戻ってきたり。でも大体の人は、一度箱に入れたものは、手放そうとしない。そして、そういう思い切りをもっていないと、箱の中は、つまり人生は、なんだかまとまりのない内容になってしまう。

何度もお金と時間の取捨選択をしていると、だんだん自分の箱の中は、自分の好きなものだけで構成されてくる。自分が欲しかったものだけが、自分の周りにある。そういう未来を信じて、「合わないものを手放す勇気」だけは、今日からそっと箱の中にしのばせてほしい。

雨が降らないと虹は見えない

最後に若者を勇気づけるべく、私が20代で、グローバルキャリアを夢見て七転八倒していたころの話をしたい。

私は大学生のころから「海外で働きたい!」と、ずっと思っていた。だから3年生になっても就職活動はせず、大学を卒業した後1年間オーストラリア留学をして、通訳のディプロマを取り、帰国して社内通訳として働き口を探した。1カ月ほどで外資系の企業に採用が決定して、新卒の私は意気揚々としてグローバルキャリアの一歩を踏み出し始めた。

しかし、その会社はなんと、入社後10カ月で突然リストラされた。2社目の会社は見つかったのだが、そこには私の仕事はほとんどなかった。2~3日に1回、プレスリリース用の資料をほんの少し英語に訳して、あとはずっとネットサーフィンをしているような日々……。仕事はないかと上司に聞くと、「電話をとって」とか「湯飲みを洗って」とか、そんな回答しか返ってこなかった。

履歴書に書けるような仕事は経験できず、かといって転職もできない。私が2社目に入った直後、日本経済はリーマンショックで大混乱し、経験の浅い社会人の私が人材紹介会社に問い合わせをしても、反応はまったく返ってこなかった。「社内に仕事もなければ、ほかの会社に行くこともできない」。そんな冷たい空白のような時間が、3年間も続いた。

私がこの会社にいたのは、26~29歳のときである。体力もやる気もあり、若く、一番仕事からいろいろなことを吸収できるはずの時期……。それは当時の私にも、痛いほどよく分かっていた。でも仕事はなにもない。

会社の植木に水をやりながら、私は途方に暮れていた。なにがいけなかったんだろう、と繰り返し思った。私の職業の選び方が間違っていたから、今罰が下っているのだろうか? グローバルなキャリアを目指すのなら通訳など選ばず、新卒のタイミングで大きな会社、たとえば戦略コンサルや外資系IT企業を受ければよかったと、思っても後の祭り……。そもそも大学を卒業したとき、私はそういう選択肢がこの世界に存在することも、知らなかったのだ。

やりがいのある仕事がしたいと、心底思った。社会人経験の浅い私には、やりがいのある仕事というのが何なのかすらも、正直具体的にはよく分からなかった。でも、もっとできるはずだという気持ちだけがあった。今何ももっていないけど、私にはもっとできるんだ、と。

渇望だけが、あのときの私を突き動かしていた。とにかく英語力だけは落とさないよう、通訳学校へ行ったり、オンライン英会話をやったりした。自分の仕事を会計よりにシフトさせることにしてからは、上司に頼み込んで会社で簡単な経理の入力をやらせてもらった。仕訳のこともなにも分からなかったので、簿記3級から勉強した。

その頃はもうMBAに行くことも考えていたから、将来の学費を捻出するために、昼はOLをしながら、夜は銀座でホステスとして働いた。面接で「なんで銀座で働きたいの?」と聞かれて「アメリカの大学院に行きたいのでお金を貯めたいです」と答えたとき、一瞬チーフの目が点になったのが忘れられない(笑)。

銀座での仕事は、お店にも同僚にも恵まれ、楽しかった。ビジネスの大先輩であるお客様からためになるお話も伺え、昼の仕事もこれくらいやりがいあったらよかったのになぁと、よく思ったものである。

結局2社目の会社は、別の企業からの吸収合併に遭い、私はまたしてもリストラされた。早稲田を卒業したのに、20代でハローワークの失業保険の列に並んだ女は、私くらいだと思う。

CPAの勉強をしながら、会計事務所で働きたくて履歴書を送ったけれど、片っ端から落とされまくった。面接に行って「将来監査がしたいんです」と正直に言っても、先方から「こんな浅い企業経理の経験しかないのに冗談でしょ」と鼻で笑われた。

ある日ハローワークの端末でふと目に留まった国際会計事務所に、完全なるダメ元の気持ちでレジュメを送った。それが私の3社目で、ありがたいことに、その会計事務所での経験がシンガポールの監査法人の採用につながったのだから、人生って本当に不思議である。

ホステスの仕事の後タクシーで帰宅するとき、首都高から見える深夜2時の東京の夜景はとにかく美しく、世の中ってこんなに大変で辛いのに、綺麗って一体どういうことなんだろうなと、ぼんやりと思った。タクシーの運転手さんが「お姉さん今日も頑張りましたね、お疲れさま」と温かい声をかけてくださり、私は「ありがとうございます」と小さい声で答えながら、眼尻に浮かんだ涙をぬぐった。

あのときの私は、間違いなく頑張っていた。真っ暗な闇の中、今にも切れそうな極細い糸をたぐりよせて、自分の未来を少しずつ近づけているような日々だった。「世界のどこでも働ける人間になりたい」「やりがいのある仕事がしたい」、うわごとのようにずっと呟いていた、あのころの私が積み上げた無数の頑張りとあがきが、今の私をつくり上げている。

今あなたがやっている仕事が、どんな仕事なのか、私にはわからない。もしかしたら昔の私と同じように、時々窓の外を眺めては「日本の外で働きたい」「いつか必ず」と思っているかもしれない。やれるよ。なりたい自分には、なれるよ。あなたが今いる場所は、関係ない。大事なのは、希望をもち続けるということ。

私は先週、アメリカのMBAの受験のために、トップ校の在校生の方々と、お話しさせていただいた。当然ながら皆さん優秀な、いわゆる「MBA映え」するキャリアパスをお持ちで、新卒で「大手証券会社の国際部6年」「外資系投資銀行の営業で7年」「日系メガバンクに8年&社費でMBA」とか、なんかもう、そのキラキラぶりが目にまぶしかった。皆さん、多分ハローワークの列に並ぶことなど一生ないであろう。……ないに越したことはないが(笑)。

「私の20代もこういうふうに過ごせればよかったんだけどな」と、もちろんうらやましくも感じる。皆さんにもそういうときがあるかもしれない、「あの時なぜこうしておかなかったんだ」「時間を巻き戻したい」と思うときが。でも私は私なりに頑張ってやってきたので、今読者の方からお便りを頂戴したときに「あなたが今何をやっていたとしても、最終的には行きたいところへ辿りつけるよ」と自信をもって断言できる。

雨が降った後じゃないと虹を見ることはできないように、大変な思いをしないと、ほかの人を勇気づけることは難しい。だからいろいろ辛いこともあったけれど、無駄じゃなかったって思うのだ。

私はシンガポールで4年間の監査法人生活を経験した後、今はアフリカにあるNGOで、財務ディレクターとして、会社全体のお金のマネジメントをしている。同僚はカナダ人、ケニア人、イギリス人、南アフリカ人等。5カ月働いているけれど、国内で日本人を一度も見かけたことがない(笑)。「世界のどこでも働ける人間になりたい」「やりがいのある仕事がしたい」。ずっとそう思って走ってきたけれど、多分私は、10年近くかけて、本当にそういう自分になることができたのだ。

あなたにもできるよ。頑張って。世界のどこかで、あなたの活躍を応援しています。

応援しています!

著者: 石井友里

わんぱく会計士

早稲田大学教育学部卒。米国公認会計士。日本の不動産投資法人等で経理を4年経験した後、単身シンガポールへ。監査法人で法定監査を4年、事業会社で財務部長を1年経験した後、唐突に仕事を辞めて、会計士ボランティアをしながら世界を一周することに。昔から勢いで行動することには定評のある、元気な日本人女性。

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