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【電卓持って世界一周!】世界一周の終わりに―人が人を助ける意味~東京なう~

「火と水のたとえ」

NPOと途上国のジレンマを簡略化するために、「火と水のたとえ」というのを考えた。この場合、火は貧困、水はお金である。

途上国では常に貧困という火が燃えさかり、逃げ惑う人々が大勢いる。ユニセフのポスターで、悲し気に視線を伏せているアフリカの子どもがそうだ。だから先進国の人間はスプーン1杯の水を「火を消すために使ってください」とNPOに寄付をする。たとえスプーン1杯の水であったとしても、何億人もの人が寄付をすれば膨大な量の水になる。

その水を持ってNPOの外国人は貧困という火の消火活動にいそしむ。水の入ったバケツを持ち上げて、ふと隣を見る。そこにはNPOに雇われたローカルのアフリカ人がいる。彼らは、お金持ちではないが、NPOのおかげで仕事はある。今日食べるものに困るほどの貧困ではない、中流層の人間である。

彼らの仕事も火に水をかけることであるのだが、彼らは消火活動をほとんど行わない。NPOが火を消しているのをぼーっと眺めている。あとはおしゃべりをしたり、You Tubeを見たり、消火活動を行う外国人を冷かしたりしながら暮らしている。

NPOは思う。そうか。彼らはきっと火の消し方を知らないから、動けないのだ。だからトレーニングと称して、彼らにバケツの持ち方や、水のかけ方を一生懸命教える。

また、簡単な井戸の掘り方も教える。こうしてポンプを使うとほら、水が出てくるでしょ。これをかければ火が消えるね? だからほら、私たちがいなくなっても、自分たちで消火活動ができるでしょ?

次の日NPOが現場にやってくる。ローカルのアフリカ人はおしゃべりをして笑っている。だれも井戸なんて掘っていない。消火活動なんて疲れるし、今おしゃべりをすることの方が彼らにとっては楽しいのだ。井戸は誰も整備をしないので、だんだんと干からびていく。

井戸の水っていったってさぁ、どうせほんの少ししか出てこないじゃん。どうせ外国人はいっぱい水を持ってるんでしょ? 豊かな先進国の人間なんだから、貧しいあたしたちに水を分けてくれるのは当然でしょ?

NPOは苛立つ。一体国は何をやってるんだよと。隣を見ると、政府の人間はNPOが持ってきた水を大量にちょろまかして、巨大な自分用のプールを作っている。水着の女の子をはべらせ、シャンパンを開け、ガンガンに音楽をかけて。「我々は選ばれた富裕層の人間だから、水を使って贅沢をする権利が当然ある」と彼らは言う。「火などそのまま燃やしておけ」と。

そしてプールには中流層のアフリカ人が群がって、彼らはいかに政府の人間に気に入られるかを考え始める。その間にも火は燃え続ける。

ヨルダンのペトラ遺跡。「てーててってーてーててー♪」とインディジョーンズのテーマを口ずさんでいたらロバ乗りのおっちゃんに笑われた

石井、途上国開発のリアルに悩む

火を消すには、2つの変化が必要である。政府がプールを取り壊し、消火に必要な水を供給することと、国民が真剣になって井戸を掘り、消火を行うこと。

でも、どちらもそんなことはやらない。彼らは火を消すことに、そもそもパッションがないのだ。だから何が起きるかというと、結局アフリカ人を助けるためのNPOで、一番働いているのはみんな外国からやってきた欧米人やアジア人という、奇妙な現象が派生する。

冒頭の質問に戻って、私が「途上国のNPOで働くことをどう思うか」に回答をすると、現段階での答えは「大変ですよ」だ。

ソーシャルインパクトに情熱を燃やして、長期間NPOで貢献しようと思い続けられる人は、本当にごく一部だと思う。モチベーションを保つのはとても難しい。難しい理由は「途上国での生活がきつい」とかそういうことじゃなくて、「途上国の人間はNPOの活動に対して特に感謝などしていない」ことと、「彼らは貧困の撲滅に興味がない」ことを、毎日目の当たりにするからだ。彼らは、昨日と同じ今日でいいのだ。

それは彼らが薄情だとかそういうことではない。先進国、後進国問わず、赤の他人を助けてみようというアクションを起こす人って、そもそも少数派なのだと思う。

ラオスのルアンパバーンで托鉢を差し上げたお坊さんたち

石井、水戸藩主として吠える

そして自分で言うのもなんだが、私は困っている他人を見ると、わりと脊髄反射的に親切にしてしまう、単細胞な女である。アフリカのNPOに行こうってくらいですからね。。。

だから東京に帰ってからも、深夜の駅に飲みすぎてグロッキーになっている女の子がいればポカリを渡し介抱し、ガード下に寒そうにしているホームレスの人がいれば500円を手渡し「おじちゃんこれで何か温かいものでも食べて」と言い、終電近い電車の中で泥酔した大学生の男の子が後輩の女の子をバシバシ殴っているのを見れば「ちょっと女の子叩くのやめなよ」と割って入りと、他人の人生にちょっかいを出すことに、全く躊躇も余念もない。黄門さまみたいなおせっかいぶりだ。

そんな平成を生きる水戸藩主の私が東京に対してとっても心配していることがある。それは「東京の人は他人が困ってるのを見ても、ほぼ100%無視して通り過ぎる」ことである。

あれ、一体なんでだろう? 他人に関する不信感ゆえ? シャイなの? 無関心なの? 忙しいから? 理由はよく分からないが、この現象は他の国(たとえば欧米や中東、アフリカ)では、まず見られない。絶対誰か1人は「大丈夫かい」と声をかけてくる。善意100%とは限らないので注意が必要だが。

私が上記の飲みすぎグロッキー女子を助けた時、彼女は大きな階段の中央につくばっていたのだが、その時電車から降りてきた100人以上の人が、彼女をきれいに避けて、階段を上っていった。それを遠くから眺めていた私は、大量の黒い人のうねりが彼女の白いシャツの背中を飲み込み、そして放置して去って行ったことに、茫然としてしまった。100人に1人も、彼女に手を貸そうとした人はいなかったのだ。

「疲れてるんですよ、みんな」

と、私の東京の友人は言う。もう個々人が疲れすぎてて、他人に関わりたくなんかないんですよと。そうなのかなぁ? そうなんだとしたら、それほどまでに人を疲れさす日本社会って、いかがなものだろうか?

石井、人を助けることの効用を考える

私は基本的に、他人は助けた方がいいのだと思っている。ただし自分が楽しめる範囲内で、である。

人を助けるのは、たとえるなら運動をするようなものだ。われわれは小さいころから「身体を動かしなさい」と言われ続けているし、運動が身体にいいなんてことは分かっている。でも腰をあげるのは、正直ちょっと面倒くさい。でも実際運動してみると、結構すっきりする。でも運動しすぎると今度は逆に自分の身体を痛めてしまう。だから心地よく感じる範囲がいい。

他者への親切も、まさにそんな感じ。どれくらいのレベルを楽しめるかは、個々人によって差がある。だから、まずは自分がどの程度の量の親切を他人に施すと心地よく感じるのか、理解するといいと思う。それから少しずつキャパシティを増やしていけばいい。

(ちなみに他者への親切0%の生活は、不健全だと考える。いつも自分の損得ばかり考えていると、代謝が悪くなって、ぶくぶくと心に贅肉がついてくる感じ)

よって途上国開発に興味のある方は、いきなりキャリアをスイッチするのではなく、とりあえず今日見かけた困っている人を助けてみたり、身近な地域のボランティアをしてみてはいかがだろうか。それで自分の心の動きを観察して、自分がどういう人に対してどれくらい親切にしたいかを、測ってみてほしい。
それをしばらく続けて楽しくなってみたら、私みたいに世界の果てまで行って、ソーシャルチェンジを試みるのも、悪くないだろう。

「勇気は筋肉なので、少しずつトレーニングを続けていれば、誰でも勇敢な人になる」と私はよく言うのだが、それは優しさに関しても同じだ。毎日ちょっとだけでも人に親切にすることで、人はだんだん優しい人になる。

そして優しい人の方が、プラスマイナスで見てみると、やっぱり人生ちょっと得をしていると思うのだ。それはたとえば、生きる環境が少し温かくなることであったり、孤独を感じにくいということであったり。

だから他の人に優しくすることは、本人のためにもなると、私は信じている。
(でも自分の人生を賭して誰かを助けたりすることはない。それをやると前述した通り、『ありがとう』が返って来なかった時にしんどいから)

オランダ・アムステルダムのキューケンホフ国立公園。チューリップが開花する3~5月の間しか開園しない。春にオランダに行かれる方はぜひ!

石井、筆を起きアメリカへ発つ

最後に私事になるが、「電卓持って世界一周!」は、今回が最終回になる。この度めでたくMBA受験に合格し、今秋からアメリカの大学院に入学が決まったためだ。勉学(と就職活動とパーティー)で忙しくなるため、一旦筆をおかせていただきたく思う。

私は原稿料を頂戴して文章を書く、という行為は本連載が初めてだったのだが、意外なことに、執筆中はいろいろな方から「おもしろかった」「もっと読みたい」とコメントをいただいた。ありがたいことである。なんだかんだで1年3カ月書き続けてきたし、その間シンガポール→アフリカ→ヨーロッパ→中東→アジアと居を転々としていたので、私にとっても思い出深い連載になった。

この原稿は不特定多数に向けて書いているわけだが、私はなるべく自分の人生に起きたことを、ありのままに伝えるよう心掛けた。

「あんなにプライベートなこと書いちゃって大丈夫なの?」と友人にご心配をいただいたこともあったが、自分の考えたことを正直に言わないと誰かの心にささらないと思ったし、誰の心にもささらない文章だったら書く必要もないだろうと思ったのだ。

こんなロックな内容の原稿でも寛容にOKを出して下さったKaikei Zine編集部の皆さまには、心からの五体投地を捧げたい。

読者の皆さまも、読んで下さってありがとうございました! それではまた会う日まで、さよーならー!

あでゅー!

著者: 石井友里

わんぱく会計士

早稲田大学教育学部卒。米国公認会計士。日本の不動産投資法人等で経理を4年経験した後、単身シンガポールへ。監査法人で法定監査を4年、事業会社で財務部長を1年経験した後、唐突に仕事を辞めて、会計士ボランティアをしながら世界を一周することに。昔から勢いで行動することには定評のある、元気な日本人女性。

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