今回話を伺ったのは、公認会計士・税理士 山田真哉氏。『女子大生会計士の事件簿』『さおだけ屋はなぜ潰れないのか?』など数々のベストセラーを世に出し、現在はYouTuberとして27万人を超える登録者がいる、言わずと知れた実力派会計人だ。そんな山田氏が公認会計士を目指したそもそもの始まりは、阪神淡路大震災で実家が全壊したところからだった。絶望することが何度訪れても、それは人生をより良くできる“チャンス”だと語る山田氏の公認会計士になるまでの歩み、そしてこれまでのキャリアと展望について迫ります。(取材・撮影:レックスアドバイザーズ 市川)

阪神淡路大震災で自宅が全壊。1年間の避難生活を送る
公認会計士を目指したきっかけについて教えてください。
山田:大学卒業後は一度予備校講師として就職をして、それから公認会計士を目指し始めました。なぜ予備校講師になったかについてですが、私は高校3年生の1月に、阪神淡路大震災を経験しています。神戸の実家は全壊し、親戚の家やマンションを借りて、1年ほどは転々と避難生活が続きました。この震災の経験が、今に繋がるきっかけにもなっています。
一つは自宅が全壊しながらも、父がそれまできちんと会社員として働いていたのでこれまでの貯金でマンションを借りられたこと。いざというときのために、お金を稼ぐ必要性が身に沁みました。そしてもう一つは、大学に通いながらも学費を稼ぐために自分の身の回りに掛かるお金は自分で稼ごうと、時給の高い予備校講師のアルバイトをしたことです。それまでクラスでは目立たず、暗い性格だったのですが当時は生きるためにとにかく必死で、背に腹は代えられませんでした。しかし、予備校講師をしてみると教えることがとても楽しいことに気付きました。
こうして、地元の予備校では現代文講師として手前味噌ながらそれなりに評価していただいていたこともあり、卒業後にそのまま予備校に就職して上京をしました。そこで、挫折を味わうことになるのです。その予備校には林修先生など今も有名な先生がいらっしゃって、その凄さを目の当たりにして自信を失くしました。結果、約2か月で神戸に帰りました。
しばらくは実家に引きこもっていましたが、このままではまずいと思い、手に職を付けるためとりあえず専門学校に行き、何か資格を取りたいと相談したところ、公認会計士を勧められました。これが23歳のときです。そして1年後に合格をしました。勉強量も多かったのですが、予備校講師だったので受験勉強のコツを掴んでいたこともあり、短期間で合格できました。あと、小論文を使って大学受験をしたので、文章を書くことが元々得意だったのも幸いしました。

売れっ子作家となり監査法人を退職するも、時給900円のアルバイト生活に
その後、再び上京されて、2000年に中央青山監査法人に就職されました。
山田:こちらには2000年~2004年まで勤めました。そして自費出版で『女子大生会計士の事件簿』を出したのが2002年です。
作家になりたいという気持ちはありませんでしたが、予備校講師にとって本を出すことはステイタスなので、その価値観は残っていました。会計系の本にしたのは、公認会計士のお仕事紹介とか、会計の勉強が現場でどう生きるかといった本があったらいいなと思ったからです。今はネットでいくらでも調べられますが、当時はそういった情報があまりなかったので受験生にも読まれるだろうと予測して。
日経新聞に自費で広告を出したところベストセラーに。
山田:最初は30社ほど出版社に持ち込んだのですが、全部断られました。そのため自分の貯金から170万円ほど捻出して自費出版に切り替えました。毎年受験生が1万人くらいいるので、そのうちの1千部くらい毎年コツコツ売っていけば10年くらいでペイできるかな、と。実際には、全巻合わせて100万部くらい売れました。本が売れたのは、自費で日経新聞に広告を出したことも大きかったです。当時40万円出せば日経新聞に広告が載せられたので、載せてみることにしました。結果、広告の反響が大きく小説が売れて、さらにいろいろな出版のお話や漫画の連載が決まりました。
その後、執筆活動などで監査の仕事との両立が難しくなり、また漫画の原作料が月に20万円入っていたので監査法人を退職したのです。ところが、辞表を出した次の日に漫画の打ち切りが決まって…。月に20万円の収入の目途がなくなり、しかしいまさら監査法人を続けたいとも言えず、友達の税理士事務所で時給900円ほどのアルバイトをしながら1年ほど執筆活動に専念しました。
そして、2005年の2月に『さおだけ屋はなぜ潰れないのか?』を出版すると、ここでもまた状況が大きく変わります。テレビ、ラジオへの出演や講演会の依頼がたくさん来ました。2009年くらいまでは、作家をしながらタレント活動といった感じで、個人事務所は立ち上げていましたがほぼ会計の仕事はしていませんでした。
ところが、この2005年に得たかなりの額の印税を投資に回したものの、リーマンショックの影響で大損し始めました。これはまずいと2010年に新たに稼ぐ手段として立ち上げたのが、今の芸能文化税理士法人の前身となる山田真哉税理士事務所と芸能文化会計財団です。知り合いは芸能・出版関係が多かったので、それならと芸能・出版関係に特化してやっていくことにしました。

勝機が成功のカギ!2年間で登録者27万人超える人気YouTuberに
YouTubeを始めたきっかけはお客様だそうですね。
山田:はい、お客様にメンタリストDaiGoさんなど、YouTube関連の方が増えたことがきっかけです。従来の芸能界とはルールの異なる場所で活躍しているお客様が増えてきて、これまでとは違うルールを知るために自分もやってみようと思って始めました。
私はいつも、一つの物事によって複数効果が得られることをしていきたいと思っています。YouTubeを始めようと思ったのは、お客様のことをより理解できるようになれることと、社内の知識の底上げが図れるからですね。社内教育用にビデオを作るくらいなら、同じ労力で一般向けにも出したほうが得ですから。さらには、宣伝力。YouTubeの登録者数が多ければ、その数字が事務所の宣伝にも採用にも使えますし、お客様とコラボをすれば顧客満足度にも繋がりますよね。
そしてこれからも新規事業には力を入れていきたいと考えています。どうしても会計事務所は労働集約型になりがちです。安い顧問料で帳簿や申告書を作成するというやり方もあると思いますが、当法人はお客様に合わせた節税プランの作成を主な業務としています。しかしこれは手間が掛かるので収益化しにくく、また大企業相手だとまとまった金額が入りますが、芸能関係に特化していると小規模零細企業が多いので収益性が上がりません。だから収益性の高い新規事業はないかと考えています。何か新しいことをする際には、YouTubeというメディアを持っていることも強みになるでしょう。この強みを活かして、新しいビジネスモデルを生み出していきたいです。
これまでの人生を振り返ると、受験期に実家が全壊したり、漫画の連載が突然打ち切りになったり、投資で失敗してしまったりなどピンチが何度かありましたが、それは積極的に動いて人生をより良い方向に変えるチャンスだと思っています。やるべきときには全力で取り組むと必ず成功できます。つまり勝機を逃さないということです。公認会計士試験は難しいですから、きっと私は1年で受からなければやる気を無くすと思いました。『さおだけ屋はなぜ潰れないのか?』が売れたときも、こんなヒットはもうないだろうからと、なるべくオファーは断らずに働きました。そういう必死に頑張るべき時を逃さないようにしています。
機を逃さないというのはYouTubeでも同じ。登録者数を伸ばすには、給付金など世間が求めている動画を、求められている時にすぐアップしなければならないと思い、去年は頑張って1日2本アップしたこともありました。そうして登録者数を大幅に伸ばしたのです。
こういうチャンスで勝負に出る一方で、漫画の原作が打ち切りになるという絶望的な状況でも執筆活動に集中できたのは、公認会計士という資格があったから。監査法人を辞めても監査のアルバイトができます。資格という保険があるからこそ、チャンスを逃さず強気に動けるのだと思います。
【編集後記】
まるでドラマのような人生を送ってきた山田先生。冷静にその時々で自分が次に何をすべきかを見定めて行動されているのが印象的でした。山田先生、有難うございました!
芸能文化税理士法人
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2019年
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