確定申告の必要のないサラリーマンでも、「青色申告」「白色申告」という税金の制度を知っているだろう。個人事業主や法人設立の届出をしたときに、とりあえず青色申告はするものという空気があるが、この青色申告が導入されるに至った歴史は、とてもドラマティックなのだ。

ご存知の通り青色申告は、65万円あるいは10万円の特別控除が利用できるが、それぞれ条件があり、65万円特別控除を受けるためには、複式簿記で帳簿を作成する必要がある一方、10万円特別控除を受けるには、簡易簿記で帳簿をつけることで受けることができる。
もともと青色の申告用紙を使用して申告することから、この名称がつけられたのだが、2001年以降の所得税申告書は青色ではなくなったものの、実務上でも青色申告と呼ばれている。
そもそも、青色申告制度は、1949年8月に発表された日本税制報告書、いわゆる「シャウプ勧告」に由来する。当時コロンビア大学の教授だったカール・シャウプ博士が、日本国内を視察中、日本人に青色の印象を聞いたところ、とても良い印象との返事が返ってきたことから、青色にしたと伝えられている。
では、青色申告発祥の地はどこかご存じ地だろうか。実は、東京都目黒区だ。目黒の洋品店経営者・喜多村実氏は、ご自身が作った実験店鋪の経営内容を新聞紙上で公開、いわゆる「ガラス張り経営」を提唱した。
なぜ、喜多村氏がこのような行動をとったかと言うと、このころの日本の時代背景がある。当時の日本の所得税は最高税率が85%であり、利益の大部分を税金として納める必要があった。ところが、過少申告をする納税者が多かったことから、課税当局は、そういった納税者を更正処分した。一方で、正確な帳簿もつけていない納税者は反論するための資料もない状況。そこで実質所得による正しい課税を行うべきという考えから、喜多村氏は「ガラス張り経営」を始めたもの。これがシャウプ博士の目に留まり、“日本にも納税者自身が記帳し、申告する制度が根付くに違いない”と判断。これが、青色申告制度が生まれる一因となったと言われている。
このとき、シャウプ博士は「税務官庁を強化して徹底調査」すべきか「業者の誠実な申告」を推進すべきかといった納税の根本方針について迷っていたそうだ。しかし、「最終的には民主的納税ということから青色申告の導入を決意した」と喜多川氏は後日に述べている。
青色申告制度と複式簿記にはこんな歴史がある。青色申告制度は、庶民自らが勝ち取った制度だったわけだ。