関西の人、とりわけ、大阪、京都、神戸の方がその中心なのかもしれませんが、「自分」と言って相手を指すことがあります。「自分、どう思う?」などと聞かれてしまうと、これら以外の地域の人、特に東日本の人にとってはやや戸惑いを覚える表現でもありましょう。「自分」とは、自分自身を指す主語なのか、はたまた相手を指す主語なのか、今回は主語について考えます。

「空気を読む」文化

自分のことを表現する語彙にはたくさんのものがあります。例えば、「手前」という表現も、手前みそとか、手前勝手などというように、自分のことを指す言葉です。その筋の人が使う、「手前、生国(しょうごく)と発しますところ、関東です。」というような表現にもあるように、関東でも「手前=自分」という意味を持っているわけです。

しかし、その筋の方もいざ喧嘩となると、「てめえ!」と言って、「手前」という表現で相手を罵しります。結局、関東でも自分のことを表現する言葉で、相手を指したりすることはあるということでしょう。

英語表現は、ほぼ必ずといっていいほど主語を必要としますが、日本語は主語を省略する場面も多く、主語に特段重きを置いていないのかもしれません。ハイコンテクスト文化、いわゆる「空気を読む」文化であることなどが影響しているのでしょうか。言語学者のご意見を伺わないと分かりませんが、どちらにも使える一人称が存在するのも、そういったことと関連があるのかもしれません。