日通課長事件と主語
こうした主語無し文化は租税法領域に影響を与えることもしばしばあり、解釈論において誰が主語なのか明確にされずに議論が展開されることもあります。その一例として、いわゆる日通課長事件をご紹介しましょう。
この事件は脱税に係る刑事事件ですが、N社の管財課課長だったY(被告人)が、取引業者から受けたお歳暮などの所得について、一時所得であるか雑所得であるかが争われました。Yは、取引業者から、リベートのほか、お中元やお歳暮、昇進祝、住宅改築祝、訪米の餞別等として多額の金品の贈与を受けたことが認定されているのですが、ここでは所得税法34条1項にいう一時所得該当性の議論に注目してみましょう。
一時所得とは、利子所得、配当所得、不動産所得、事業所得、給与所得、退職所得、山林所得及び譲渡所得以外の所得のうち、営利を目的とする継続的行為から生じた所得以外の一時の所得で労務その他の役務又は資産の譲渡の対価としての性質を有しないものをいう。
さて、所得税法34条1項は、「継続的行為から生じた所得以外の一時の所得」であることを一時所得の要件の1つとしていますから、「継続的行為」による所得であれば一時所得には該当せず、他の所得(雑所得)に該当することになります。
しかし、「継続的行為」をするのは誰なのかという点は、実は条文上必ずしも明らかではありません。条文では、「納税者が」という明確な主語がなく、この「継続的行為」の行為主体が誰であるのかについては判然としないのです。シンプルに考えれば、「納税者が」という主語を補って読むべきなのかもしれませんが、日通課長事件東京高裁昭和46年12月17日判決(判タ276号365頁)は、次のように示しています。
「諸供与は、これを各業者とYとの年間における金品授受の関係として全体的に考察すれば、名目はそれが中元、歳暮、祝儀、餞別または香奠であつても、決して唯だ一過性または一回限りのものではなくて、炯眼な業者らが敏感にそれぞれの機会を捉えては、Yの愛顧や恩寵を得るために、営々と反覆継続してなした供与の一環ないしは一駒にほかならない〔下線筆者〕」
このように説示して一時所得該当性を否定したのです。下線の箇所を読むと、東京高裁は「炯眼な業者らが…営々と反覆継続してなした供与」としており、継続的行為の主語を「炯眼な業者ら」と解しているようにも見受けられます。
仮に所得税法34条1項を、「納税者が」継続的行為を行った場合を要件としているものと補って解釈するのであれば、この事件では「Yが」継続的行為をしていたか否かが問題とされるべきであったでしょう。そうであるのにもかかわらず、この点が必ずしも明確に判示されておらず、むしろ、判決文からみるに、裁判所は、「炯眼な業者ら」の行為の継続性に注目しているように読めるのです。
日本語は主語を明確にしないとはいえ、刑事事件における課税要件の判断においては、厳格なる議論がなされるべきだったのではないでしょうか。法律すら「空気で読む」のであるとすれば、法的安定性の観点から大きな問題があるでしょう。
そういう筆者も、他人に向かって「ご自分は?」などと、関東人なのに関西人のような表現をすることもあります。また、しばしば、子どもに対して「僕、何歳?」などと聞いてしまうのも事実です。「自分の年齢を小さな子どもに尋ねる」という、まことに奇妙な日本語を使っているのですね……。
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