「徳を積む」という言葉があります。これは、仏教の教えに由来する慣用表現の一つですが、「積む」という言い方からすれば、何か「徳」というものが少しずつ積み上がっていく、英語でいえば「pile」されていくようなイメージがあるかもしれません。もし「徳」が、物質的に積み上がっていくものであるとすれば、「徳」の資産該当性を論じることもあながち的外れではないように思われますが、今回はヒューマンキャピタル論と関連付けてこの辺りを考えてみたいと思います。
借方「徳」?
さて、「徳」というものは、いわば何らかの物質的な概念と捉えられているのでしょうか。例えばヒューマンキャピタル論によれば、「徳」が積まれるとその分だけ人の価値が増加することになりますから、資産計上されるべきであるというような考え方があり得るかもしれません。
例えば、困窮者に金銭的な施しをするために寄附金を贈与したと仮定しましょう。そうすると、寄附者は、現金を失う代わりに人としての価値が増加する、すなわち「徳」という資産を計上するという考え方があり得ましょう。簿記論的に示せば、次のような仕訳になるでしょうか。
(借方) 徳 100万円 / (貸方) 現金 100万円
すなわち、この文脈からすれば、人に施しを行うとか、寄附行為を積極的になすというような場合には、これはいわばその人格的な意味における「徳」の増加を意味することから、資産計上がなされるべきでしょう。
「徳」の減少や増加
さて、ここで資産と仮定した「徳」とは、その価値が減少したり、増加したりするものでしょうか。減少する場合には減価償却資産該当性、増加する場合には譲渡所得の基因となる資産該当性という租税法上の問題関心に接続するわけです。
第一に、その資産たる「徳」は減価償却資産とされるべき資産に当たるでしょうか。
減価償却資産とは必ずしも目に見える資産のみを指すものではありませんが-営業権などの無形固定資産を想起してください。-、所得税法2条《定義》1項19号は、「減価償却資産」の定義を政令に委任し、これ受けて、所得税法施行令6条《減価償却資産の範囲》が、「時の経過によりその価値の減少しないものを除く。」としています。
要するに、減価償却資産とは、時の経過により価値が減少するものという前提があるわけです。
さて、「徳」はどうでしょうか。放っておいても「徳」の価値は減少しないとすれば、減価償却の対象にはならないと解することができそうです。すなわち、「徳」が資産であったとしても、減価償却資産には該当しないことになるでしょう。
では、次に、「徳」は時間の経過とともに価値が増加するような資産であるといえるでしょうか。要するに、価値が膨らんでいくものとして、キャピタル・ゲインを観念すべき資産であるということになれば、譲渡所得の基因となる資産に該当することになるわけですが、「徳」自体の価値が自ずと増加していくということは考えにくいことからすれば、かかる資産該当性には否定的であるべきかもしれません。