令和3年6月18日(金)早朝、札幌市内に熊が出没し、住宅街を動き回った後、自衛隊丘珠駐屯地(同市東区)や隣接する丘珠空港の滑走路に侵入しました。自衛隊員1人を含む4人が襲われ、1人が重傷を負っています。熊は愛らしいキャラクターとして描かれることも多い反面、被害に遭われた方からすれば「害獣」以外何物でもないでしょう。さて、今回は「熊」による被害を考えます。

鬼熊事件

戦前の有名な猟奇事件に「鬼熊事件」という事件があります。大正15年8月20日に千葉県久賀村(現在の多古町)で起きた事件です。もっとも、「鬼熊」とはいっても、動物の熊ではなく、岩淵熊次郎(当時35歳)という人間の行った残忍な事件です。

熊次郎は、茶屋の酌婦を撲殺し、女性絡みで恨んでいた男性を村の駐在所から盗み出したサーベルで殺し、別の男性の家に火をつけました。また、警察官(河野昱太郎巡査)を大型の鎌で殺害したり、そのほかの警察官や消防団員にもけがを負わせたといいます。そして何より、その後、約40日間も見つからなかったことで世間の注目を浴びました。

マスコミはこぞって、犯人の名が熊次郎であることから、「鬼熊」と称して大々的な報道合戦を繰り広げたそうです。

この事件になぞらえて「神出鬼没」という言葉が流行語になり、『鬼熊の足跡を追ふて』とか、『悪夢』、『噫(ああ)河野巡査』という映画が公開され、演歌師による『鬼熊狂恋の歌』が流行し、どら焼きのような茶菓「熊公焼き」という露店が出て人気になったといわれています。また「殺人鬼・熊次郎を出した村の村民にはなりたくない」として地元の地区の代表が隣村への編入を県に請願したなどということもあったそうですから(小池新『戦前昭和の猟奇事件』10頁(文藝春秋2021))、いかに当時の人々の好奇の対象となった事件だったかが分かるでしょう。

鬼熊が徘徊しているかもしれないという懸念から、地元の養蚕業の人たちは、蚕の餌の桑の葉を摘み取りに行けなくなってしまって、大打撃を受けたといわれています。まさに「熊被害」です。他方、鬼熊騒動によって報道が地元に入ったことから、旅館業が大変な繁盛をしたとか、自転車が飛ぶように売れるようになったという好況の話題も伝えられています(前述書によると「鬼熊特需」)。

そう考えると、熊被害があったとみるべきか、鬼熊のおかげで活況となったとみるべきかは、その影響を受けた当事者次第であるということになるでしょう。

熊次郎が「鬼熊」と呼ばれるようになったきっかけは、地元紙の千葉毎日新聞が8月29日付けの記事に「出没自在の鬼熊」の脇見出しを付けたことによるようです。鬼熊事件の「鬼熊」という表現も、熊次郎に「鬼」という評価的修飾語を付すことで、読者のバイアスを招来することになったのではないかとも思われます。