奥多摩地方の奥多摩三山の一つ御前山に連なる山や「高水三山」と呼ばれる連山の一つに「惣岳山」という山があります。前者については、尾根づたいに歩きやすい山ですし、後者については「高水山」、「岩茸石山」とあわせそれほど標高が高い山ではないことから、いずれも初級者も楽しめる縦走登山コースとして人気です。さて、今回は「惣岳山」にいうところの「惣」とは何かを考えてみましょう。
「惣」を含む地名
「惣」という文字は、日本各地の地名に散見されます。例えば冒頭の「惣岳山」のほか、福島県と兵庫県には、それぞれ「惣山」と呼ばれる山があります。また、町域名として、京都府宮津市「惣」、愛知県名古屋市瑞穂区「惣作町」、岡山県赤磐市「惣分」、富山県富山市「惣在寺」、埼玉県幸手市「惣新田」など、日本中の地名に「惣」の文字を見つけることができるでしょう。その他にも、「惣森」、「惣田」、「惣社」、「惣領」などは全国各地に同名町域が存在し、あげればキリがない程です。
「惣」とは
さて、ここにいう「惣」とは、鎌倉末期から室町時代にかけて、日本全国で組成された農民の自治組織のことを意味します。「惣村」ともいいますが、いわば、農民の組合的組織といってもいいかもしれません。惣は、生産に必要な山や森、田などを惣有財産として管理し、これが「惣山」や「惣森」、「惣田」などといった現在の地名に残っているというわけです。
惣の中では、「惣掟」が定められ、平等と連帯の意識により結合していたといわれています。内部で問題等が生じたときは、惣の構成員が出席する「寄合」という会議によって解決を図ることとされていましたが、今でも、寄合がコミュニティの1つの形態として残っている地域もあるでしょう。
惣は、「乙名(おとな)」と呼ばれる長老者らを代表に連帯していた集団ですが、一揆等の場面において非常に強い結束力を有していたといわれています。例えば、「土一揆は惣村結合を母胎として、戦われたものであつた。」という指摘にもあるとおり(石田善人「惣について」史林38巻6号88頁(1955))、支配者に対しての要求活動の場面において、「惣」の持つ役割はとても大きなものだったといってよいでしょう。
支配者に対する要求事項において最も重要なものの1つに、「年貢」の問題がありましょう。厳しい年貢取立てにつき、惣から領主に対し、年貢の減免を主張することもありました。それが一揆に繋がっているケースも多々あるわけですが、その意味で、惣は、我が国における民衆による納税減免運動の走りだったといってもいいかもしれません(一揆については、前回のコラム「戒石銘を読む」も参照)。