巷には、例えば「これで分かる連結納税」や「納得!事業承継税制」などといった分かりやすさを重視した租税関連書籍が溢れています。もちろん、租税法に携わらない一般人が、その大まかな全体像を掴むべく、そうした書籍を手に取ることは多々あるでしょう。しかしながら、租税の専門家たる税理士が、そうした本に実務上の根拠を求めている姿をしばしば見かけます。今回は租税法における「効率至上主義」的な問題点を考えます。

効率至上主義

木村草太教授は、「今、書店には、手っ取り早く儲かるビジネス本、簡単に快楽を得られるヘイト本、複雑な科学を無視できるスピリチュアル本などが溢れている。」とし、これを「効率至上主義」と称されます(木村「書評:木庭顕著『誰のために法は生まれた』」週刊文春60巻40号117頁)。

租税法の講義をしていてしばしば思うのが、この効率至上主義の弊害です。世の中にはより簡単な解説、より分かりやすい文章が効率至上主義的に溢れていますが、それが、実は学生の読解力や忍耐力を奪っているのではないかとしばしば思うことがあるのです。

租税法の学習をしたことのある方は、租税法律主義に基づく租税法の理解について、深く考えさせられる機会を与えられることでしょう。「果たして条文にはどのように規定されているのか」という点をしっかりと条文を読みながら理解する力が租税法の学習には欠かせないのです。

しかしながら、残念なことに、租税法の専門家である税理士試験の専門学校では、その学習の根底にある「条文」をしっかり読み解くことに注力していない場合が多いように思われます。もちろん、これは専門学校が悪いなどではなく、試験制度そのものに由来するものでしょう。

租税法の条文操作

租税法の条文を読むことができる力を身に付けるためには、条文操作というトレーニングが欠かせません。それは、租税法の学習をしたことのない方には想像がつかないかもしれませんが、通常租税法の1つの条文内にはいくつもの他の租税法(あるいは租税法以外の法律)の条文がリンクされています。

したがって、1つの条文を理解するためには、そこに規定されている他のいくつもの引用元の条文を読む必要がありますが、その引用元の条文自体も他の条文を引用しているため、さらにその引用元にいかなければならないというわけです。
そのようにして、1つの条文を理解するために、何本もの条文との関りを意識し、丁寧に読み解くという作業(条文操作)が必須になるのです。

そうであるにもかかわらず、税理士を養成するための、すなわち条文を駆使して仕事をする法律家を養成するための専門学校が、かような条文操作トレーニングをしていないのです。
もっとも、それは仕方のないことかも知れません。効率的に「受験」に合格させるのがそれら専門学校の使命だからです。
たとえ租税法を読むために必要な知識であるとしても、試験に出ない学習を行うことは効率的ではないでしょう。

そのような試験勉強を経て税理士になると、かれらは、租税法の条文から直接解釈を導き出すことを億劫に思うでしょう。ともすると、条文の表現は抽象的だからといって、そこから解釈が始まることを忘れて、あるいは放棄して、課税庁の法解釈が示されている通達に頼り、あるいは条文を「やさしく解説」してある効率的な書籍に手を伸ばすことになるのかもしれません。

「やさしく解説」している啓蒙書を求めるのは、専門家のすべき行為でしょうか。その「やさしさ」の裏に多少の矛盾や例外の存在が無視されていることを知らない人はいないはずです。本来、専門家はその多少の矛盾や例外の存在にこそ関心を寄せるべきですし、専門家には、社会科学が無視してはいけない複雑さを乗り越える力が期待されているのではないでしょうか。

効率至上主義は、専門家の専門家たる矜持にまで影響を及ぼしているのではないかと危惧するところです。