消費税は国民の生活にダイレクトに影響する租税ということもあり、その導入や増税を巡っては、政治的な紛糾が付き物です。我が国では、平成元年(1989年)4月1日に3%の消費税が初めて導入されたわけですが、その当時の与野党の対立をご存知の方も多いかもしれません。さて、今回はそうした消費税を巡る政治動向に目を向けてみましょう。

トロイカとトロイカ体制

トロイカ(Тройка:troika)とは、ロシアの3頭建ての馬橇(うまぞり)をいい、日本人にとっては、ロシア民謡でも親しまれています。

また、これになぞらえて、ソビエト連邦におけるレーニン(ウラジーミル・イリイチ・レーニン)亡き後、トロツキー(レフ・ダヴィードヴィチ・トロツキー)とスターリン(ヨシフ・ヴィッサリオノヴィチ・スターリン)の対立構造の下、スターリン、ジノヴィエフ(グリゴリー・エフセーエヴィチ・ジノヴィエフ)、カーメネフ(レフ・ボリソヴィチ・カーメネフ)によって形成された集団的な指導体制のことを通称「トロイカ体制」と呼んでいます。

もっとも、トロイカという言い方は、今日的には、ある種の慣用的表現として馴染まれており、当初こそ、権力を3つに分散してなす政治体制という意味を有していましたが、現在では政治に限らず、経済、芸術、スポーツ界などでも多岐に使われています。

消費税の導入と政治的トロイカ

我が国の政治におけるトロイカ体制は、消費税の沿革を語る上で避けることができません。

自民党税制調査会は、昭和61年(1986年)12月に売上税導入・マル優廃止をワンセットにした税制改革案をまとめ、政府も税制改正要綱を決めました。ところが、その後、野党が売上税に反発し、以後、この問題をめぐって国会は数か月間紛糾しました。

翌昭和62年(1987年)11月には、総裁選に立候補した安倍晋太郎・竹下登・宮澤喜一の三人を調整するかのように、中曽根康弘に一任され出来上がった竹下新内閣において、竹下新総理、安倍幹事長、宮澤副総理兼蔵相というニューリーダー3名による体制が構築されました。
この体制がマスコミ等で「トロイカ体制」と呼ばれることになり、そして、この体制の下で、その後の税制改正が実現することになったわけです。

また、民主党にも注目すべきトロイカ体制がありました。

平成18年(2006年)に創設された民主党執行部では、小沢一郎、鳩山由紀夫、菅直人の3名によるトロイカ体制が敷かれていましたが、消費税増税反対のため小沢一郎が離党し、その体制は崩壊に向かいました(次に、尖閣問題で中国寄りの発言を続ける鳩山元総理大臣が党から処分を受け、参議院選挙の東京選挙区で無所属の候補を応援した菅元総理大臣も離党勧告を受けることとなり、平成25年(2013年)7月に民主党のトロイカ体制は終焉を迎えています。)。

トロイカの操縦

これ以上早い乗り物はないといわれてきたトロイカは、ロシアの剛胆な魂の象徴ともいわれています(ニコライ・サモーキシュの絵画『トロイカ』〔国立トレチャコフ美術館所蔵〕を見れば一目瞭然です。)。荒々しくも、操縦が難しい3頭立ての高速ソリ、それがトロイカです。

売上税の創設が失敗に終わった当時、ある面で政治の剛胆さがなければ大衆課税である消費税の創設はなし得なかったのかもしれません。そこには、当時の自民党のトロイカ体制の力強さを見出すことができるでしょう。
しかし、他方で、民主党は消費税の増税を巡ってトロイカ体制が崩壊しています。トロイカの操縦は難しいのですね。