憲法は、夫婦についてその両方に同等の権利を有することを謳い、かかる憲法の基本姿勢の下、民法は夫婦別産制を規定しています。さて、夫婦の財産や収入が完全に別個独立したものであるとすれば、所得税はどのように課されるべきなのでしょうか。今回は沖縄県糸満の伝統に目を向けながらこの点を考えてみましょう。
憲法の要請と民法規定
憲法24条1項は、「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。」として、婚姻関係にある夫婦が実質的に同質の権利を有することを明らかにしています。
また、同条2項は、「配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。」とします。
ところで、民法762条《夫婦間における財産の帰属》1項は、「夫婦の一方が婚姻前から有する財産及び婚姻中自己の名で得た財産は、その特有財産(夫婦の一方が単独で有する財産をいう。)とする。〔下線筆者〕」として、夫婦の別産制を規定しています。
夫婦の協力と所得
それでは、夫名義で取得した給与所得や事業所得について、「妻の家事労働等による協力によって得られた所得」であるとして、夫婦に平分して帰属するべきと考え、かかる所得を均分した上で所得税の計算を行うことは許されるのでしょうか。
たしかに、「夫の稼ぎは妻の支えがあってこそ」と考えれば、夫婦が協力して所得を得たと考えることも可能かもしれません。
しかしながら、大阪高裁昭和34年9月3日判決(民集15巻8号2059頁)は、次のように判示して、上記のような納税者の主張を排斥しています。
かかる判決を受け、控訴人は、そもそも、民法762条1項ないし所得税法の規定は憲法24条に反するとも主張し、上告しました。
これに対して、最高裁昭和36年9月6日大法廷判決(民集15巻8号2047頁)は、以下のとおり夫婦別産制を肯定し、民法762条1項および所得税法について違憲であるとする上告人の主張を排斥しています。
すなわち、最高裁は、まず憲法24条について、次のように述べます。
その上で、違憲性の判断について次のように示しています。
このように、最高裁は民法762条は違憲ではないとし、また、所得税法の違憲の主張も排斥しています。結局のところ、夫の所得を分散した所得金額の計算及び税額計算は否定されたわけです。
ところが、夫婦の所得が完全に別産の場合、すなわち、夫が稼いだ所得と妻が稼いだ所得がもとから明確に峻別されている場合にどのように考えるべきかについては、上記判決の射程外の問題であるようにも思われます。上記の事例は夫が外部から稼いできた所得を夫婦で分散した事例ですが、夫と妻が明確に別の経済主体であるとすればどうでしょうか。
糸満の「ワタクサー」
沖縄の豊かな漁村である旧糸満町(現在の糸満市糸満)では、「男は魚を捕り、女はそれを売る」という分業的役割分担が確立されていたといいます。
女性は、夫や父親らとは別に、儲けを個人的に貯める「ワタクサー」をするのが一般的だったようです。
「ワタクサー」とは沖縄地方の方言で、「へそくり」を意味する言葉だったようですが、糸満ではその意味が異なるといいいます(平成29年6月6日付け沖縄タイムス電子版「ワタクサー(夫婦別財産)・漁師の妻、糸満女性の生きる知恵 家父長制の本土で驚き」)。
記事によると、漁師である夫や父などが、いつ危険な目に遭うか分からないことから、「ワタクサー」は女性にとっては「一種の保険」と考えられていたようです。また、未婚の女性にとっては、結婚準備金として貯めた金額が、勤勉さの目安にもなったといいます。
河上肇教授は、この夫婦別産制について研究を行った結果、「此の糸満の最大特徴は、其家族経済が極端なる個人主義に拠れる事也。現に夫婦親子は多くは各々其の財産を別にす。」とされています(河上「琉球糸満の個人主義的家族」『経済学研究』318頁(博文館1912))。
なお、未婚男子の獲物は妹が買い取り、既婚男子の獲物は妻が買い取って、那覇の市場で販売されたといいます。妹や妻に販売した際の魚の代金が男子の収入となり、兄なり夫から買い取った魚の値段と那覇で販売した金額との差額が女子の収入となっていたようです。夫婦は基本的に各々独立した財産を所有するわけですが、夫婦に子が産まれた時に初めて二人の財産を合併したといいます(三田剛史「河上肇の沖縄への影響」早稲田経済学研究47号124頁(1998)も参照)。
「ワタクサー」と所得税
さて、このように子供が産まれるまでの夫婦間における個人主義的夫婦別産制によった経済活動が行われている場合、所得税法上の所得金額の計算は、夫は夫、妻は妻という計算になるのでしょうか。
仮に、現行所得税法が適用されるとすれば、同法56条《事業から対価を受ける親族がある場合の必要経費の特例》の規定の適用が問題となりそうです。この場合、夫婦が生計を一にしているといえないのであれば、同条の規定の適用はないことになるでしょう。
他方、生計を一にしているとすれば、同条が適用されることとなり、夫の所得金額の計算上、夫が妻から得た収入(獲物の売却収入)はないものとされ、妻も夫に支払った妻にとっての仕入金額はないものとされるとともに、夫の漁に要した費用の額は妻の所得金額の計算上、必要経費に算入されることになるように思われます。
そうであるとすると、所得金額は計算上、妻に集中することとなり、夫の所得が実態よりも低く見積もられることになりそうです。もっとも、妻が夫の仕事に従事したと認定されるのであれば、所得金額は計算上、上記とは別に夫に集中することになるでしょう(妻が海女としてサザエなどを収穫し、それを夫が妻から購入して夫の経営する旅館の食堂で商品提供するような場合の所得税法56条の適用については、酒井克彦「導管理論と所得税法(上)(下)-同一生計内親族間における対価の支払に係る必要経費性-」税務事例37巻12号(2005)、38巻1号(2006) 参照)。
「ワタクサー」にみる完全なる個人主義的な経済活動に、所得税法56条は馴染むのでしょうか。議論のあるところだと思います。