財政健全化論者として名高い水野忠邦は、天保12年(1841年)に、天保の改革を断行しました。まず、水野は幕府各所に綱紀粛正と奢侈の禁止を命じるところから改革をスタートします。同改革は江戸市中において、贅沢や奢侈的なものを禁止するものです。節約を厳格に徹底する方針は、我が国の政府施策としてしばしば登場します。今回は、「冗費」「濫費」の節約について考えてみましょう。
勤労・倹約という美徳

水野の施策は厳格に過ぎるとして、見直しを進言する者もいたものの、奢侈に対する厳格な禁止が徹底されたようです。
井出英策教授によると、勤労と倹約を美徳とする考え方が全国に広がったのは江戸時代であり、「村請制度」がその背景にあるといいます(井出『幸福の増税論—財政はだれのために』10頁(岩波書店2018))。
村請制度の下では、年貢が、個人や世帯ではなく村単位で納められていたことから、納税自体が村の責任であったのです。
かかる制度の下では、村の中に勤労しない人・倹約しない人が現れると、まじめな人達が損をする仕組みとなっていたため、勤労と倹約を美徳として説かなければならない事情があったというのです。
すなわち、村民教育の段階から、他人に救われることを「恥」として教え込んでいたという社会背景を抜きにして、我が国の勤労と倹約精神を語ることはできないといいます。
政策的な冗費・濫費の制限
さて、池田隼人総理大臣は『均衡財政』(実業之日本社 1952)のなかで次のように指摘しています。
交際費等の損金不算入
ここで「濫費」という言葉に注目してみましょう。
「濫費」の節減を目的として、我が国では、租税特別措置法61の4《交際費等の損金不算入》において交際費等課税制度が設けられています。
交際費等の損金算入を無制限に認めると、法人の冗費・濫費を増大させるおそれがあることから(金子宏『租税法〔第23版〕』423頁(弘文堂2019))、政策的に設けられたルールが交際費等課税制度といえるでしょう。
冗費・濫費を節減するというこのような考え方は、我が国の歴史の中に培われてきた考え方であるとみることができるところ、それはあくまでも政策的な配慮が背後にあるものであって、何も倫理観の醸成を目的として租税特別措置法61条の4があるわけではないことに注意が必要です。
前述のとおり、村請制度のときの村民教育も、あくまでもそのような政策的な水向けであったのでしょう。
その時々の政策に応じて考えるに、今日的に冗費・濫費の節減がいかなる意味を有しているのかという点にもう一度立ち返って、国家が企業の費用の使途にまで口出しをするような規制社会からの離脱こそが今日の政府に求められる姿勢ではないかと思うところです。
なお、会社に勤める給与所得者が接待の際に得るであろうフリンジベネフィット(給与とは別に、実際に酒食を味わうことで満足を受けることも、一種の給与的な扱いになるわけです。)に対する課税は所得課税の問題であって、交際費等課税制度とは切り離して考えるべき論点であると考えます。
いずれにしても、費用の支払が損金として租税負担の計算上控除されることになるからといって、交際費等のみを否認のターゲットとして考えるべき問題ではないように思われます。
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