会計・税務の知識ゼロ。しかも、社会人経験も少ない1歳の子持ちの主婦が「子どもが寝ている間だけ、通信制で勉強する。家事にも育児にも支障を出さず、3年くらいで合格して税理士になろう」と、今書くと恥ずかしいくらいの大きな目標を掲げ、税理士を目指して勉強をスタートさせました。

結果からネタばらしをすると、

・「子どもが寝ている間だけ、通信制で」
→直前期(5~7月)は週末に塾へ通い、授業&自習。朝から夕方まで塾にこもる。

・「家事にも育児にも支障を出さず」
→週末は義実家や夫に家事育児をお願いする。

・「3年くらいで合格して税理士になろう」
→資格取得までに6年半、登録までには約10年かかる。

こうして書き出してみると、当初の予定とはかけ離れて、ずいぶん頑張ったように思われるかもしれません。でも、専業主婦だった私にとって、久しぶりの勉強はとてもとても楽しいものでした。

もともと数字が好きな私。まずは、「簿記入門」(簿記2級程度)から始めたのですが、借方計と貸方計が合うときの快感!何より”育児以外にやるべきことがある”状況にやりがいを感じました。子どもを20時に寝かせて夫が帰宅するまでの0時頃まで、社宅のダイニングテーブルで簿記論の問題を解くのが1日の楽しみに。解いているのは目の前の「簿記入門」の問題ですが、その先には税理士になった私の姿があるのです。

昼間は専業主婦として、買い物に出かけたり、料理をしたり、子どもと遊んだりしていましたが、「税理士を目指しているんだ」という気持ちがあると、これまでと同じことをしていても、不思議と生活にハリが出ました。

11月から簿記入門を始め、1月から簿記論の授業が始まり、成績は少しずつですが順調に伸びていきました。

当初は、「子どもが寝ている間だけ通信で勉強しよう」と考えていましたが、5月からの直前期は模試が続くので、週末は塾に通うことにしました。いつもジーパン姿で大荷物を抱えてベビーカーを押していたので、塾に通うためにスカートに着替え、テキストを持って電車に乗る。たったこれだけのことが本当にうれしかったことを覚えています。

直前の全国模試ではS判定(合格確実圏)を出し、「予定通り、1年目でまずは1科目♪」と思いながら受験に臨みました。

ところが試験当日、思うように解けず、試験終了後「これはダメだ…」と呆然としました。自然と悔し涙が出てきました。「あんなに勉強したのに。直前期はいろんなことを夫や義母にお願いして、家事も育児も手抜きになっていたのに」と。

沸き出てくるのは、家族への申し訳ない気持ち。
「どうしよう、こんなに協力してもらったのに、ダメだった」

今思えば私のような人はたくさんいるのですが、合格体験記に出ている超優秀な人しか知らず、その頃はまだ受験仲間もほとんどいなかったので、自分だけがとてもダメな人間な気がしました。

とはいえ、このときは初年度でしたし、気を取り直して2年目を迎えました。2年目は簿記論と財務諸表論です。

1年目と同様に楽しみながら勉強し、順調に成績も伸び、受験。「2年で2科目!」と思って臨みました。しかし、またしても当日の試験に苦戦し、2科目同時不合格でした。

このときが、私の人生初の挫折だったかもしれません。1年目以上に家族への申し訳なさ、自分の不甲斐なさを感じました。ゴールデンウィークも週末も子どもと遊べず自習室にこもったのに、子どもに寂しい思いをさせているのに、何年やっても受からないかもしれない。

「お金もかかっている。辞めた方がいいんだ。やっぱり専業主婦で何の知識もなかった私が頑張っても限界があるんだ。私が税理士になんてなれないんだ……」
しばらく、悩みました。

そのとき、たくさん協力してくれていた義母が、私にこう言ったのです。

「大学受験みたいに1~2年で合格しなきゃいけない試験じゃないんじゃない? 税理士を目指している人のこと、ほかにも聞くけど、みんな何年もかかってるみたいよ。成績も上がってきているんだし続けたら?」と。

このとき、「弥輝さんが大変なら無理して続けなくても」とか「大変だったら辞めてもいいんじゃない?」と言われていたら、勉強を続けていなかったかもしれません。このときの義母の言葉、そしてずっと協力してくれた夫や子どもには本当に感謝しています。

そして迎えた3年目。試験直前の5月に次男を出産したため、簿記論1本に絞って受験をしました。出産後はほとんど勉強時間が取れませんでしたが、それまでの蓄積もあり、12月、ついに『初合格』を掴んだのでした。

まだ、たったの1科目。それでも0と1とでは大きく違います。初めての合格に自分も家族も友達も、そして先に合格していた受験仲間も大喜びしてくれました。

「税理士になるまでの道のりはまだまだ続くけど頑張ろう」

そう心を新たにしたのでした。