人気連載第11弾! 東京、ニューヨーク、香港と渡り歩いた税制コンサルタントMariaが、あらゆる国の税に関するエピソードをご紹介。今回は、低税率国としてその地位を確立したシンガポールが、どのような税制改革を行ってきたかをご説明します。

低税率国へ変化を遂げたシンガポール

こんにちは! 香港在住、税制コンサルタントのMariaです。香港では蒸し暑い日が続いていますが、日本も暑くなっていると知り、驚きを隠せません・・・。

さて、今日は香港から近い、シンガポールの税収構造についてご紹介します。

シンガポールは誰もが知る低税率国ですが、それはたったの20年ほど前からのこと。それまでは、なんと日本と同じく法人税や所得税といった直接税に税収の大半を頼っていました。

今ではさまざまな国際企業が、シンガポールにアジア本社を置いていますね。ヘッジファンドやPEファンドといった金融業も、本社を多く置いています。

毎日スコールが降る亜熱帯の国シンガポールに、世界中から優秀な人材が集まるのはなぜか。それはアジアの英語圏であり、誰もが移住しやすいということはもちろん、何よりも低税率国であるということが大きな理由として挙げられます。

Photo by ハム蔵

しかし、シンガポールは初めから低税率国であったわけではありません。低税率国へ、どう変化を遂げたのか? その歴史を見てみると、日本の今後の税収を考えるヒントがあるかもしれません。

シンガポールの税制~1994年まで

今でこそ低税率国として存在感を発揮しているシンガポールですが、1994年までは、そうでもありませんでした。

当時の法人税率は30%、個人所得税の最高税率は33%。
現在の法人税率は17%、個人所得税は0~22%の累進税率であることと比べると、大きな違いです。

そんな状態であったシンガポールは、アジア圏でトップの経済成長を達成することを目標に掲げ、“Tax Competition”(直訳すると「税の競争」)の波に乗ることを決意しました。あらゆる国が法人税等の直接税の税率を下げて、ヒト・モノ・カネを誘致しようと競争する現象をこのようにいいます。

20世紀初頭から特に、Tax Competitionは顕著になりました。この波は今でも続いており、直近の例でいうとトランプ大統領がアメリカの法人税をぐっと下げましたね。

さて、経済成長を目標としていたシンガポールは1994年、ついに法人税率と所得税率を引き下げて、海外からの投資を誘致しようと動き始めたのです。

“ついに”と書いたのには理由があります。実はシンガポールは、このアイディアを8年も温めていました。

1986年、当時のFinance Minister(財務省長官のようなもの)Richard Huが、予算案のスピーチを行った際にGST(Goods and Service Tax=日本でいう消費税)についての勉強会を始めたと言及したのです。

なぜGSTの導入が、Tax competitionに繋がるのか。

Tax Competitionに参加するには、法人税率をぐっと下げることが第一条件です。さらに所得税率も下げることで、優秀な人材の確保も目指していきたいところです。

しかしながら、歳入が減るのは好ましくありません。法人税率と所得税率を下げて税収が減る分を、どう補うか。

国が歳入を増やすためにはさまざまな方法がありますが、シンガポールが手を出したのが、GSTの導入だったのです。

これをほかの言葉に言い直すと、”税収を直接税から間接税に切り替える”と表現できます。直接税は納税者の母体が狭いため、税率を高く設定しなければ歳入増は達成できません。一方、消費税に代表される間接税は、納税者の母体が広いため、低税率でも歳入へのインパクトが大きくなります。

1986年からアイディアを温めていたシンガポール。1994年、についに改革が始まりました。

Photo by acworks

間接税の歳入を増やし、直接税の歳入を減らす

1994年、GST元年。シンガポール政府は3%のGSTを導入しました。

政策目標はあくまでも直接税から間接税への切り替えであり、歳入を減らすことでも増やすことではありませんでした。
しかしながら、それまでの法人税・個人所得税を据え置いたまGSTの導入をすると、単純な増税となってしまいます。

したがって同時に、直接税の減税が行われました。
法人税率は30%から27%に、個人所得税の最高税率も33%から30%へ引き下げられたのです。

それだけでありません。GSTには“逆進性”という大きな問題が隠れています。この問題を解決しなければいけませんでした。

逆進性、これは日本の消費税にも潜んでいる課題です。

逆進性とは、所得の低い人ほど負担が大きくなってしまうことをいいます。
対義語は累進性です。所得の高い人ほど負担が大きくなることを累進的だといい、日本の所得税の税率が分かりやすい例です。

消費税に逆進性の問題があるのは、生活必需品に係る消費税の負担が、所得が低い人ほど相対的に高いからです。

たとえば4人家族が生活するために最低限必要な食費が月10万円だと仮定します。その部分に係る消費税は、今の日本の消費税率8%だと8000円になりますね。

手取り30万円の世帯と手取り100万円の世帯とでは、この8000円の価値が相対的に違います。

手取り30万円の世帯からすると、手取りのうち2.6%分、消費税を負担していることになります。一方、手取り100万円の世帯からみると、手取りのうち0.008%分しか消費税を負担していないことになります。これが逆進性の問題です。

シンガポール政府がGSTを導入した際、低所得者世帯を逆進性からどう守るかが大きな課題として検討されました。これは個人所得税率を下げることでは解決されない問題です。個人所得税率の減税は、高所得者世帯にも等しく利益となるためです。

そこでシンガポール政府は、個人所得税を計算する際の基礎控除の引き上げと、低所得者世帯へのリベート(補助金のようなもの)を同時に政策導入しました。これは“Offset Package”と呼ばれ、GSTの負担を相殺するだけの減税を国民に提供するという政府の約束を詰めたメッセージでした。

このOffset Packageは特に低所得者世帯の保護に焦点が当てられました。

結果、なんとそれまで個人所得税を納税していた人のうち、3分の2に及ぶ割合の個人が個人所得税の納税義務者のブラケットから外れました。

Offset Packageは手厚すぎる保障のため、国民の支持を大いに得ましたが、少々手厚すぎた感触もあったようです。GST導入翌年の指標をみると、GSTからの歳入がSGD1.6 billion であったのに比べ、Offset packageによる歳出がSGD1.8 billionにのぼっていたとの記録があります・・・。

シンガポールのラクサ。おいしそう!! Photo by still

さらに間接税へ税収減が切り替わる

その後もシンガポール政府は徐々に、GSTへの切り替えを進めていきます。
2003年にGSTは4%、2004年に5%、最終的に2007年には現在の税率7%に設定されました。

GSTの税率が上がるにつれ、法人税率と個人所得税は引き下げられ、現在はそれぞれ法人税率17%、個人所得税率は0~22%の累進税率となりました。

シンガポールの歳入庁であるIRAのウェブサイトには、こう名言されています。

“Keeping our corporate rate competitive will help us to continue to attract a good share of foreign investment. Keeping our individual rates low will encourage our people to work hard.”
(参考:INLAND REVENUE AUTHORITY OF SINGAPORE

「法人税率を低く保つことは海外からの投資をひきつけるため、個人所得税率を低く保つのは人の労働意欲を高くするため」だと和訳できます。

シンプルでとても分かりやすい政策ですね。この政策を実現するために、7%のGSTがあるわけです。そして今後、さらに間接税へ税収が切り替えが進む予定です。

シンガポール政府は今後2021~2025年の間に、GSTを7%から9%へ引き上げることを計画しています。

最たる目標は、さらなる直接税から間接税への切り替えだけでなく、何より高齢化社会への対応です。高齢化社会を迎えるに際して、膨らむ政府の歳出をカバーするだけの税収が必要だという課題が出ています。

これは日本がすでに直面している問題と同じですね。シンガポールの政策、直接税から間接税への切り替え。ここから日本が学べることはあるでしょうか。

今回のケースの結論:シンガポール、思い切った政策を実現したもんだ!