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酒井克彦の「税金」についての公開雑談~租税法におけるヒューマン・キャピタル論~

人的資本、ヒューマン・キャピタルという言葉を耳にしたことがある方は多いかと思います。人的資源や人的資産など、呼び方に若干の差異はあれども、人の有する無形の価値に着目した概念と整理することができるでしょう。今回は、ヒューマン・キャピタルを巡る所得税法上の論点を紹介します。

スーパーシンボリックエコノミー

21世紀の富は、データ、アイデア、シンボル、象徴体系の瞬間的な伝達と普及なくしては立ちゆかないといわれています(吉田望『会社は誰のものか』165頁(新潮社2005))。これをアルビン・トフラー(Alvin Toffler)は、その著書である『Powershift〔パワーシフト〕』の中で「the Super-Symbolic Economy〔スーパーシンボリックエコノミー〕」と呼んでいます。

このスーパーシンボリックエコノミーで生き残るのは、個人主義者、過激主義者、負けじ魂の持ち主、さらには変人であり、いわば力をつかむためにはどんな海岸への上陸をも敢行するビジネス戦士達であると指摘されることがあります(吉田・前掲書)。このような資質を持つ極めて牽引力の強いリーダーシップが、その影響力の下で、企業体質を強固なものとする事例は事欠きません。

最近でいえば、米国のトランプ大統領などが彷彿とされるところでしょう。決して法令違反は許されませんが、かつてのカルロス・ゴーンなどもその一人だったのかもしれません。

ヒューマン・キャピタルへの注目

ところで、米国シカゴ学派の経済学者ゲーリー・スタンリー・ベッカー(Gary Stanley Becker)は、人的資本を経済学的に研究することによってノーベル経済学賞を受賞しています。

彼は、「先進国の例についてみると、資本の75%は人である」といいます。更に、「労働生産性への知的資本の貢献はインターネットが普及した95年以降に著しい」という点を指摘し、また、「21世紀は企業や社会の知的財産を担う人的資本の重要性がさらに高まるだろう」と述べているのです。すなわち、ヒューマン・キャピタル(human capital)という人的資本への注目です。

ところが、この最も重要な資源を企業が保有しているとしても、これに関する資産価値は貸借対照表には掲載されません。人的資本がオフバランスになっていることが、その価値が見過ごされやすい原因であるとの指摘もあります(吉田・前掲書)。

古くは、アダム・スミス(Adam Smith)もヒューマン・キャピタルについて注目をしていました。すなわち、技能や器用さ、判断力といった経験によってヒューマン・キャピタルは形成されるというのです。
また、イギリスの経済学者アーサー・セシル・ピグー(Arthur Cecil Pigou)も物的資本と同様に、ヒューマン・キャピタルへの投資も重要である旨を主張しています。

租税法とヒューマン・キャピタル

租税法においても、ヒューマン・キャピタルは、しばしば現行租税法制度を説明する際の理論的道具として使われることがあります。

例えば、所得税法は、人的障害に係る賠償金を非課税所得として扱っていますが、この理論的説明においてヒューマン・キャピタル論が用いられることがあります。
そこでは、「人的障害に基因して受ける損害賠償金は、人的資本の障害に対する回収を意味するところ、そもそも回収資本について所得は生じないことから非課税扱いが妥当」ということになるわけです。

他方で、このようなヒューマン・キャピタル理論に対しては、いくつかの批判があり得ます。
すなわち、まず、現行所得税法は、果たして、人の身体や精神を資本と捉える考え方を採用しているかという素朴な疑問です。もし、所得税法において身体や精神が資本と捉えられているのであれば、その資本を減価させて得た給与所得は、身体や精神をすり減らして得た所得という意味で、減価償却費が控除されてしかるべきですが、そのような控除は認められていない点を指摘できます。

もっとも、この点は、既に、ヒューマン・キャピタルの減価償却相当額が給与所得控除に織り込まれているとする再反論もできなくはありません。
給与所得者は身体的な資本のみに依存して所得を生み出すものであり、病気やケガによって勤労を行い得ない状態になることが十分に想定される点に鑑みて、担税力が低い所得区分と解し、他の所得区分における必要経費等の控除よりも手厚く給与所得控除が設けられているという見方です。

また、その他にも、プライバシー権の譲渡による対価や、血液その他身体の一部の販売の場合に、その元本となった人的資本の価額を譲渡資産の取得費として控除することが認められていないという疑問も起こり得ます。

ただこうもいえないでしょうか。
例えば、医療費控除はヒューマン・キャピタルが病気やケガで損失を被った場合に、これを手当てするのに要した費用を、いわば機械に対する修繕費的なものとして控除することを意味すると理論的に説明することは可能です。

この考え方からすれば、そうであるがゆえに、資本的支出であるヒューマン・キャピタルの価値の増加部分に係る医療行為に要した費用は修繕費たる医療費控除の対象とはならないといえるのです。すなわち、美容整形に要した費用はたとえそれが病院等の診療機関においてなされた手術に要した費用であったとしても、修繕費的性格ではないことから医療費控除の対象とはならないという説明もできるのです。

著者: 酒井克彦

中央大学商学部教授 兼 法科大学院教授/法学博士

中央大学商学部教授。法学博士。現在、税務会計論・租税法などを担当。一般社団法人アコード租税総合研究所 所長、一般社団法人ファルクラム 代表理事。単著に『スタートアップ租税法〔第3版〕』、『クローズアップ保険税務』他5冊のアップシリーズ、『所得税法の論点研究』(財経詳報社)、『裁判例からみる所得税法』、『裁判例からみる法人税法〔2訂版〕』(大蔵財務協会)、『レクチャー租税法解釈入門』(弘文堂)、『プログレッシブ税務会計論Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ』(中央経済社)、『アクセス税務通達の読み方』(第一法規)、『キャッチアップ 仮想通貨の最新税務』、『キャッチアップ改正相続法の税務』(ぎょうせい)など。その他、論文多数。
■一般社団法人アコード租税総合研究所
http://accordtax.net/
■一般社団法人ファルクラム(FULCRUM)
http://fulcrumtax.net/

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