東京とシンガポールを拠点に国際税務や海外進出支援を行うJグローバルコンサルティング株式会社(日本法人:東京・港区, 代表=中川利海税理士 以下、「Jグローバルコンサルティング」)。新潟出身の中川代表がどのようにして世界を股にかける国際派税理士になったのか。中川代表に話を聞いた。

■英語と税理士試験の勉強をスタートさせた学生時代
―中川先生が税理士を目指したきっかけを教えてください。
中川 私は新潟の田舎の生まれで、中高生のころはバブルの真っ只中でしたからテレビを通じて「東京はすごいな」と思っていました。「何かにチャレンジしたい」という思いも芽生えていました。
その後、明治大学政治経済学部に入学が決まって、18歳のときに上京しました。大学を卒業する前にバブルが崩壊し、時代は就職氷河期真っ只中。景気が悪くなると資格試験がブームになります。そんな時、たまたま『資格の学校TAC』のパンフレットを手にしたことが税理士を目指したきっかけです。
高校まではずっと運動部でしたが、大学に入り一転ギターを始めました。その後、バンド活動もして、UKロックに影響を受けていたこともあって、大学時代にイギリス留学をしました。そのころから、英語と税理士試験の勉強をスタートさせたのです。
■小さな個人事務所と大手事務所で働いて分かったこと
―税理士としてのキャリアはどのようにスタートさせたのでしょうか。
中川 最初は東京都千代田区神田にある個人会計事務所に入所しました。記帳代行や給与計算を手伝うような一般の事務所です。しかし1年もすると、会計事務所の仕事がどのようなものか分かってきましたし、英語も少しできたこともあり、最大手事務所であるKPMG税理士法人の国際部へ転職しました。
―KPMGでの仕事内容はどのようなものだったのでしょうか。
中川 税務申告業務が8割、税務アドバイス業務が2割くらいでした。担当した企業の7割は日本へ進出している外資系企業で日本企業は3割程度でした。
―個人事務所からKPMGのような大手事務所に転職され、ギャップを感じたことはありましたか。
中川 最も感じたのがお客様との距離感です。個人事務所では、夕方にお客様を訪問し、その後食事したりしながら、話す内容は経営から家族の話まで色々です。アットホームで楽しかったですね(笑)。ところが、KPMGのお客様は大企業ばかりでしたから、夕方に訪問して飲みに行き家族の話をするなんて絶対にありませんでした。
仕事の内容にもギャップを感じました。個人事務所では、お客様の経営全体を見渡し、財務諸表はその経営を数値化してみる鏡、税務はその一部という考えでした。しかし、KPMGでは税務申告書を作成することがメインで、いかに正しい税務申告書を書くかということに集中していました。KPMGでは、アドバイスは基本的に受け身で、クライアントからの質問に対して法令・通達・判例通りに答えるというものでした。
―モチベーションを維持するのは難しかったのではないですか。
中川 ドライな関係よりも、お節介をやいて近い距離で仲良くする関係のほうが好きなんです。「小さな個人会計事務所」「大きな組織のKPMG」の両方で仕事をしてみて分かったことです。
結局「次はその中間たる中堅事務所で働いてみたい」と思い、会計系コンサルティング会社の株式会社AGSコンサルティングに転職しました。今でこそ、300人を超えるスタッフを抱えますが、当時は、職員数50人くらいでした。これから伸びそうな勢いを感じる会社でした。2004年のことです。
■さまざまな仕事を任された充実の中堅会社時代は水を得た魚

―AGSで働いてみてどうでしたか。
中川 AGSは、お客様に喜んでいただくという姿勢を前面に出していました。「ここが自分の働きたかった場所だ」と感じました。
AGSには12年ほど勤めました。最初の4年は、お客様の経営管理を支援する仕事です。特に中小オーナー企業が主な顧客層で、会計税務の知識を用いて経営に踏み込んだ支援をしますからお客様に喜んでもらうことができます。高度なノウハウを求められたので、非常にやり甲斐がありました。
次の5年は、海外進出支援部門の仕事です。AGSは当時従業員が100人ほどになり、いよいよAGSのお客様も海外に進出する時代。そんな中で、海外進出支援の部門を創設することになりました。
たまたま私がKPMGの国際部出身でビッグ4のノウハウもあるし、AGSの基礎である経営管理の仕事も分かっているということで、抜擢されました。新しもの好きの私は「楽しそうだな」と思い、喜んで引き受けました。
2008年、当時一人で部門を立ち上げました。すると「AGSさんも海外事業部を始めたんですか」「うちの会社も海外に出たいんです」「うちは海外に出たものの管理や国際税務が難解で」などといった反響をいただき、お客様がどんどん増えました。中小中堅企業がビッグ4以外の会計事務所にも「国際サービス」を求めていると非常に強く感じた5年間でしたね。
―2013年には、シンガポールへ進出されたとお聞きしました。その経緯を教えていただけますでしょうか。
中川 それまでお客様が海外へ進出するときは「どうぞお気をつけて」と送り出していました。AGSには海外事務所がなかったからです。でも「海外にも一緒に来てよ」というお客様からの声が多くなり、また一人で(笑)AGSシンガポール事務所を立ち上げることになりました。
―どうしてシンガポールだったのでしょうか。
中川 シンガポールは東南アジアの東京みたいなところです。「ヒト」「モノ」「カネ」が集まってくる非常に重要な場所です。AGSの海外第一拠点としては良い選択だったと思います。
もちろん、今やインターネットもあるので、以前ほど「シンガポールにいないと情報は集まらないよ」とは言いづらくなっています。
拠点を出してみて、分かっているようで分かっていなかった現地の顔がいろいろ見えてきました。自分自身にもいい経験になりましたし、お客様にもきっと喜んでもらえたんじゃないかと思います。
さらに、シンガポールには、東南アジアから優秀で英語の話せる人がたくさん集まります。英語を話せる人と仕事をするのは、非常にやりやすかったです。
―仕事は充実していましたか。
中川 はい。私の仕事は、シンガポールをはじめ東南アジアの情報をお客様に提供した上で、お客様に応じたメリット、デメリットをまとめて選択肢を提案したりなどしていました。お客様と一緒に考える仕事はとても楽しかったですね。
※次回「海外進出の課題と独立後の東京・シンガポールでの仕事」に続きます。
プロフィール
Jグローバルコンサルティング株式会社 代表取締役
東京税理士会会員相談室相談委員(国際税務担当)
税理士 中川 利海

櫻井会計事務所、KPMG税理士法人国際部を経て、2004年より株式会社AGSコンサルティング国内部にて非上場企業・上場企業に対して、経営管理支援、上場会社会計税務支援などに従事。その後、2008年に同社国際部創設、日本企業に対するアウトバウンド会計税務支援に従事。2013年に同社シンガポール事務所の創設、在シンガポール日系企業に対して、会計・税務支援、シンガポール企業に対して、対日投資支援などに従事。2016年 Jグローバルコンサルティンググループを創業し現職。2017年 東京税理士会会員相談室相談委員(国際税務担当)就任。
■Jグローバルコンサルティング株式会社
http://jglobal.co.jp/
■インタビュー
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