東京、ニューヨーク、香港と渡り歩いた“旅するタックスアドバイザー”マリア。今回から、世界を飛び回るサラリーマン圭亮を主役として、出張先の国々と日本との文化や税制の違いを紹介します。第1回は、パリへ出張した圭亮がフランス婚PACS制度や、フランス流N分N乗方式の所得税制について。

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2年ぶりの再会

圭亮は成田空港の国際線出発ゲート近くにあるラウンジの窓際席に腰掛けていた。ひと昔前は海外出張を控える高給サラリーマンやトップクラスの金持ちしか入れなかったはずのこの場所が、今はクレジットカードを作りさえすれば、誰でも入れてしまうフリースペースと化している。

子どもの泣き声や若者の笑い声が響き渡る、落ち着きのない場所に安らぎを見出す余地はないが、フライトまでの残り1時間弱を出発ゲートの簡易式ベンチで過ごすわけにはいくまいと、何となく時間をやり過ごしているのだった。

圭亮は被服系の専門商社に勤めるサラリーマンで、月に1度はどこかの国へ出張に出ている。月に1度3、4日海外に滞在するとなると、前後の準備も含めてせわしない。

しかし30代半ばであるにも関わらず、結婚はおろか彼女すらいない独身貴族の圭亮にとっては、東京に四六時中留まるべき理由も特段ない。世界各国を飛び回るこの仕事はいわば天職であった。

パリ出張は4、5回目か。2年に1度だけある、出張先の中でも特に気持ちの華やぐ目的地であった。特に詳しいわけではないが、訪れるべきレストランや観光地は頭に入っている。近年、パリには大学同期の浩介が駐在員として滞在しており、出張の度に彼の華麗なる生活を除くのも圭亮の楽しみだった。

パリでの商談を終えた圭亮は、浩介に指定されたビストロに来ていた。相変わらず店選びのセンスがいい。手狭だがどこか品のある店内の右から左へ目をやると、左端にある2人用の小さなテーブル席に浩介が座っていた。

「どうだ、パリジェンヌの1人や2人、そろそろつかまえたか?」
「圭亮、待ったぞ。時間は守れよ」

笑顔になった浩介の顔は大学時代のまま、若々しくいつ見ても清清しいものだった。浩介との再会は2年ぶりだ。

フランス婚PACS制度と家族のかたち

冗談で聞いたつもりだった。浩介がパリジェンヌと恋仲になるなど、いや言葉を言い換えると、日本人男性がフランス人女性と対等に付き合えるなど、圭亮は夢にも思っていなかったのだ。しかし浩介は綺麗に予想を裏切ってくれた。

「昨年から一緒に住み始めたんだ」

所帯持ちである男特有の落ち着きは彼から微塵も感じない。なるほど、彼らは結婚という手続きを踏むつもりはないらしい。事実婚でこのまま様子を見るという。

「PACS(パクス)、いわばフランス婚ってやつだな。結婚するわけではないんだが、事実婚にちょこっと毛を生やした感じのやつだよ。改姓とか、いざとなったときの離婚手続きとか、そうゆうのは省略できて、でも財産は共有できたり、税的には夫婦と同等の恩恵を受けられたり。まさに結婚のいいとこ取りだな。日本にないのが不思議なくらい素晴らしい制度だ」

PACSは日本語でいうと民事連帯契約というものになるらしい。内縁といったほうが腑に落ちるだろうか。

共同生活を営む2人がお互いの権利や義務を任意の書式に落とし込み、その契約書を裁判所に提出して公証を受ける。書式といっても仰仰しいものではなく、ワードファイルに箇条書きで作成し、お互いのサインさえあればいい。1枚で完結する簡素なものから10枚に及ぶ凝ったものまで自由である。

結婚の手続きと大きく違うのは、その契約を破棄したい場合には、いずれかからの通告のみで解消されてしまうことだ。あってないような契約なのである。

この制度は、もとは法的な結婚が認められていなかった同性カップルのために成立したものである。しかし同性カップルの割合は、現在PACSを利用する全締結数のうち1割に過ぎないという統計もある。今や結婚の煩わしさを嫌う異性カップルがPACSを大いに利用しているのだ。

「彼女は根っからのフランス人女性だなと思うんだけど、結婚は、もっとお互いを知ってからでいいと言うんだよ。でも、昔から子どもが欲しいと言っていてね。まずは家族の形としてPACSを締結して、税や社会保障の恩恵は受けておこうって話さ。PACSを締結している限り、子どもができると税的にすごく恩恵を受けるんだ」

浩介の話に追いつくのがやっとだ。いや、言っていることは理解できても、それを大学同期の浩介の口から彼自身の話として聞くと、なんだか遠い世界の違うものを見ているような、何ともいえない気持ちになる。その言葉を発しているのがあの浩介だと思うと、彼の言葉として消化するのにとても時間がかかる。

フランス流N分N式乗方の所得税制

この出張の少し前、圭亮は自民党の有志議員が「N分N乗(世帯課税)方式」の導入に向けた勉強会をスタートさせるというニュースを目にしていた。このN分N乗というのは、所得税の計算方法から名づけられたもので、フランスが実際に採用している制度だ。

日本は少子化に歯止めをかける所得税改革と位置付け、このフランスの制度にならって、日本に落としこめるものはないかと模索するようだった。フランス出張を控えていたこともあり、浩介との話のネタにでもしようと少しだけその制度を勉強してきていた。といっても、20分程度インターネットを徘徊してみただけだが。

「知ってるよ、N分N乗とかいう税計算をするから、所得税が安くなるんだろ?家族が増えれば増えるほど。なるほど、その家族の定義が結婚している2人と、その間の子どもに限られないというわけか」

「そういうことだよ」

よく知っているな、と少し驚いたようにみせた浩介が続ける。

「日本だと内縁の妻の配偶者控除は受けられないだろ。おまけに結婚してない彼女に子どもができたとしてさ、認知しないと、その子どもの扶養控除も受けられない。俺がいくらその子のために金を払っていてもだぜ」

フランスの所得税の計算方法は、日本と同じ超過累進税率を採用している。所得が高ければ高いほど、その高い部分には高税率がかかるというものだ。ちなみに、現在の日本の所得税率は7段階あり、下は5%、最高税率は2017年6月現在で45%である(2.1%の復興特別所得税を除く)。

日本とフランスは、税率の仕組みは同じなのだが、課税の単位に違いがある。日本は個人単位課税という制度を持ち、これはフランスが採用している世帯課税方式と対を成す考え方である。

日本は同じ家族であってもそれぞれが各税額を算出して、個人ごとに納税をする。フランスが採用する世帯課税方式はそれと違い、家族全員の収入額を一旦合計する。どんぶり勘定した上で、家族の人数”N”で収入を割る。割ったそれぞれの収入に税率をかけ、そこで算出された税額に家族の人数を掛け直して最終的な納税額を計算するというものだ。

家族の所得を足すと、一人の所得よりも金額は大きくなる。ただし家族の頭数でその所得を割ることによって、一人当たりの所得は小さくなる。超過累進制度下でこの計算を行うと、家族が増えれば増えるほど、適用される税率が税率表の中で低いものへと推移していく。

この家族に子どもの数を含めていいとなると、子どもがいればいるほど家族の頭数”N”が増えるため、その世帯の税率が抑えられるというカラクリだ。

「俺の職場の同僚なんかもさ、みんな馬鹿みたいに子どもを作るんだ。その上PACSを締結して子どもをもうけている奴らがほとんどで。知ってるか?今フランスにで生まれてくる子どものうち、50%以上が婚外子なんだぜ」

「そんなに多いのか」

フランスの少子化対策は成功したといわれている。その成功の背景には、育児給付金や育児休業などの充実した制度のほか、このN分N乗方式の所得税制も大いに寄与したと評価されている。

たとえば、課税所得が3万600 ユーロのカップルがいたとして、子どもがいない場合の税額は3200ユーロ だが、子どもを4人設けるとその税率は900ユーロにまで下がる。(参考:藤井威「出生率は回復できる〈上〉」『中央公論』Vol.122)

OECDの統計によると、フランスにおける出生率は1990年代に1.5にまで下がったが、2014年には1.98にまで回復している。同年における日本の出生率は1.4である。

日本で採用した場合の税のメリット

このN分N乗方式、フランスであれば家族を増やすのは簡単だ。少なくともNの数を1から2に増やすのは、PACSを利用さえすればいい。家族の定義には非嫡出子も含まれるので、事実婚状態の2人の間に生まれる子どもももちろん含まれる。

日本においてはどうか。N分N乗方式を採用したとして、まず恩恵を受けるのは専業主婦または主夫を持つ高収入の配偶者であろう。

自分の収入が単純に半分になり、その半分の収入に税率が適用され、最後に2掛けされる。たとえば課税所得1800万円である場合の適用税率は現在40%だが、N分N乗方式を採用すると、夫婦2人で配偶者が無収入であると仮定した場合、適用税率は33%にまで下がる。

次に恩恵を受けるのは子どもの数の多い世帯である。子供が増えるほどNの数が増えるのは記述のとおりであり、子供を設けるインセンティブとなることは予想される。

逆にメリットがないのは、税率がそもそも低い世帯である。また共働きで子どものいない世帯は、お互いの収入が同レベルであるとこの制度から受ける恩恵は全くない。間接的に専業主婦が奨励されてしまうのは思わぬ副作用である。

そもそも、税的メリットのみを見て子作りをする世帯がどれほどいるのか。日本での家族の定義は、結婚を経て実現されるものである。育児休暇制度や職場復帰、加えて待機児童などといわれる諸問題を同時に解決していくことなしに、子どもを生みやすい社会にすることは不可能である。

また、結婚という手続きやコミットメントを得る必要なく家族を増やすことができるフランスとは考え方の基礎が違う。日本における婚外子の割合は、2015年時点でわずか2.8%であった。

浩介は既にまったく違う話題を始めていたが、圭亮は頭の中でこの制度について議論を膨らませていた。

「・・・じゃ、気をつけて日本に帰れよ。今度お前がパリに来るときには彼女を紹介するさ」

気づけばもう3時間ほど経っていた。

ビストロの前で浩介と握手をし、圭亮は15分ほど歩いてホテルに戻った。久しぶりの再会は楽しかったが、考えさせられることの多い食事だった。

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4カ月後、圭亮と大学でゼミが一緒だった勝也が日本で結婚式を挙げた。勝也は浩介の親友でもあったため、浩介もフランスからわざわざ日本へ飛んできた。友達の結婚式のためだけに日本に来るなんて、やはり持つべきは良い友だ。

「彼女がさ、俺との間になかなか子どもができないからってPACSを解消したいと言ってきたんだ。いや、正確には一方的に解消してきた。もうフランスにいると彼女のことばかり考えてしまうから、いいタイミングで日本に帰ってきたいんだよ。もう駐在も3年目だし、本社にアピールしに帰ってきたんだ。しかし事実婚とはいえ、俺のことを何だと思ってたんだよあいつ。おい勝也、結婚は正解だ。事実婚なんてろくなもんじゃない」

PACSは制度開始から2008年度までの間に累計約53万件締結されたが、そのうち8万件以上が解消された 。