ゴッホ作「医師ガシェの肖像」の時価はいくら?

ところで、オークションハウス(競売会社)として世界的に有名なクリスティーズ(Christie’s)において、ゴッホの絵画「医師ガシェの肖像」が、ある日本人によって高額落札され大きな話題となったことがあります。
実は、この「医師ガシェの肖像」を巡っては、落札者であるHの死亡後、相続税に関する訴訟が生じたのです。

すなわち、被相続人を亡H、相続人をX(原告・被控訴人・上告人)ら3名とする相続において、その申告内容について税務署長Y(被告・被控訴人・被上告人)から増額更正処分及び過少申告加算税賦課決定処分を受けたXが、これを不服としてそれら処分の取消しを求めたという事案です(静岡地裁平成17年3月30日判決・税資255号順号9983)。具体的にはこの訴訟では、相続財産中の絵画、「医師ガシェの肖像」(以下「本件絵画」という。)の評価額が、Xの主張する5,000万ドルであるのか、若しくはY主張の7,500万ドルであるのかが争点となりました。

Xら相続人は、相続した本件絵画を売却するに当たり、クリスティーズ及び同じくオークションハウスであるサザビーズ(Sotheby’s)にエスティメート(オークションにおける見積額)を求めたところ、クリスティーズからは4,000万ないし6,000万ドル、サザビーズからは4,000万ないし5,000万ドルとの回答を得ました。そこで、Xは、本件絵画の価格を5,000万ドル(約53億1,750万円)と評価し、納付すべき税額を0円とする相続税の申告を行いました。なおその後、Xら相続人は、サザビーズ関連会社に対し、本件絵画を9,000万ドルで売却しています。

これに対して、Yは、本件絵画の価格が、亡Hの取得価額である7,500万ドルより低減される事情がないこと、サザビーズとクリスティーズのエスティメートは時価とはいえないこと、本件絵画のような世界的に著名な画家の絵画については、オークションで売買されることは珍しくなく、そこでの売買価格が時価を形成する通常の取引であり、需要が高ければ、落札価格が高額になるのは当然であること、本件絵画の美術史的価値が高いことを考慮すれば、本件絵画の時価が7,500万ドルを下回ることはないと主張しました。

このようなXとYの主張に対し、静岡地裁は次のように判示し、最終的に本件絵画の価格を亡Hの取得価額相当の7,500万ドルとしました。
すなわち、「相続により取得した財産の評価額は、当該財産の『取得の時における時価』によることとされており(相続税法22条)、『取得の時』とは、被相続人死亡の日であり、『時価』とは、財産の客観的な交換価値のことであり、自由な取引において通常成立すると認められる価格を意味する。そして、本件絵画のような書画の時価を評価するにあたっては、売買実例価格、精通者意見価格等を参酌して評価することとされている」とした上で、「〔Xは〕売買取引実例につき、いずれもたまたま高額な値が付いただけである旨主張し、…Hが本件絵画を取得する際のオークションは相当程度白熱したものとなったことが認められるので、その影響でHの本件絵画の取得価格が高騰したとも考えられなくはない。しかし、その後の平成9年8月に本件絵画が取得額の7,500万ドルを上回る9,000万ドルで売却され、その際に時価とかけ離れた高額で取引されたと認めるに足りる証拠がないことからすれば、上記二度の売買取引実例において、いずれの取引でも正常な取引価格を超える高額な価格で取引されたとみるより、いずれの取引も各取引時点における本件絵画の時価額を反映した価格で売買がされたと認めるのが合理的であり、これを覆すに足りる証拠はない。そうすると、本件絵画の上記売買取引実例価額は、本件絵画の本件相続開始時における時価額を判定する際の重要な資料であるというべきである。」としたのです。

仮に、X主張の、エスティメートを基準にした価格、すなわち5,000万ドルが本件相続開始時における本件絵画の時価であるとすると、本件絵画は、平成2年のHによる取得時点から相続開始時の同8年までの数年間で、2,500万ドルも価値が下落したことになり、そうであるにもかかわらず、その翌年の売却時には9,000万ドルまで価格が再上昇したことになり不合理であるというのです。

ゴッホによる世界的名画の価格が、7,500万ドルから5,000万ドルに下落し、その後たった1年の間に9,000万ドルに急騰するということは、裁判所の指摘するとおり不自然といわざるを得ないでしょう。