今回話を伺ったのは、日本を離れ、海外・シンガポールで会計事務所を立ち上げ活躍している公認会計士・税理士 萱場玄氏。パチンコに明け暮れていた学生時代から一変、資格取得という目標に向けてひたむきに努力したエピソードや国際税務への熱い想い、東京事務所 中川氏との出会いなど、シンガポールの魅力から今後の展望について話を伺った。(取材:KaikeiZine編集部)

パチンコで収益を作っていた学生時代

会計士を目指されたきっかけからお聞かせください。 

萱場:幼いころから漠然と大学には行くものだと思っていたので大学受験はしました。しかし、10校ほど受験したものの全滅。予備校に通って浪人することにしましたが、遊んでばかりで予備校にもあまり行かず、国語1科目だけで合格した大学に入りました。

しかし大学にもほとんど行かず、バイト代わり(実際、稼ぎ続けていました)にパチンコばかりしていました。友達もできないし、授業も最低限しか出ていない。そんな毎日でしたが、大学2年生のときに、自分はこれからどうやって生きていこうかと考え始めました。このままでは、いいところに就職ができないかもしれない。それなら資格を取って逆転しようと、書店で資格を比較した分厚い本を購入しました。そこで公認会計士という資格を知ります。

とりあえず予備校に行って簿記3級を受けてみることにしました。そして今考えれば十分に理解していませんでしたが、とにかく受かったのです。そこで「よく分からないけど向いているかも?!」と思ったのが公認会計士の勉強を始めたきっかけでした。

その後どのように勉強されたのでしょうか。

萱場:専門学校の公認会計士講座も受けることにし、大学3年生から勉強を始めました。自分に自信があったので(笑)、1回目の受験までは、専門学校の講義に出席して宿題をする程度の勉強しかしませんでした。ところが大学4年生の1回目の受験で、あっけなく短答式試験に落ちました。短答式くらいは受かると思って受けたのに、圧倒的な不合格。しかし、ここでふと考えました。「短答式に受かった人は、ここから3カ月後の論文式に向けて必死に勉強するけれど、論文式試験から合格発表までの3カ月は気を抜くはずだ。それなら来年の試験に向けて、自分は今日から必死に勉強しよう」と。ここからの生活は一変し、朝6時に起きて、7時に専門学校に行き夜9時までずっと勉強。これを1年ちょっと続けたのです。すると順調に成績も伸びて、翌年、大学を卒業した年の試験に合格しました。

日本で働く中でふと気が付いたアジア経済

試験合格後のキャリアについて教えてください。

萱場:大阪にあった新日本監査法人の中のKPMG部門に入社しました。当時、新日本監査法人はEYとKPMGの二重提携状態(世界のBig4のうち2つが新日本監査法人と提携している状態)だったので国際部が二つあったのですが、そのうちのKPMG部門になります。ただ自分が入所して1カ月後にはKPMG部門の人員が一斉に退所して独立、あずさ監査法人を設立したので、私もあずさ監査法人の初期の職員になりました。あずさ監査法人では外資系企業の日本の子会社や比較的小さな規模の上場会社のインチャージなどをしていました。

監査法人で4年が経過したところで、アメリカに行きたいと思い、退職をして渡米。ニューヨークのマンハッタンにある語学学校へ通いました。その後、日本へ帰国、英語に関わる仕事がしたかったので、それまでいた大阪から東京へ移り、東京共同会計事務所に就職しました。面接では「海外の案件も多いけれど、英語で対応したいという人がいないので歓迎だよ」と言ってもらえたのが魅力でした。そして実際に担当させていただく案件ではシンガポールから日本に投資する案件も多く、そうした動きを見ているうちに、アジアの経済はシンガポールを中心に回っているなと気付きました。

それなら自分もシンガポールに行ってみたい。友達に会うたびに「俺、シンガポールに行きたいんだよね」と話していたら、たまたま「TMFというオランダの会計事務所が、シンガポールで日本の公認会計士を雇いたいという話がある」と紹介してもらい、TMFに入社したのがシンガポールに来た最初のきっかけです。

その後現地で独立をされてます。何かきっかけがあったのでしょうか。

萱場:専門家は「自分の専門以外はやらないよ」とつっぱねるようなイメージはありませんか?ところが、シンガポールで仕事を始めようとされているお客様は、初めてのシンガポールで商習慣はおろか、業者の選択肢も、土地勘も、銀行口座の作り方も分からない、そして英語があまり話せない、という状態です。私達のように現地で張り付いている業者なら、ちょっと手を動かして調べればできることなのに、「私は会計の専門家なので、専門外はやりません」という頑固な士業が多い。私はそういったお高く留まった頑固な先生業ではなく、本当にクライアントが望むサービスを提供する士業になりたかったのです。当時在籍していたTMFも他の会計事務所も、そういった顧客目線のフレキシブルな仕事は引き受けていませんでした。それなら自分で始めようと思って2014年に会社を立ち上げたのです。

マーライオンと共に

まさか一緒に仕事ができると思っていなかった凄腕税理士との出会い

貴社、東京事務所の中川様とは、どのように出会ったのでしょうか。

萱場:中川さんは、もともとシンガポールで競合他社の代表を務めており、とても仕事ができる方で国際税務という中では飛び抜けている存在でした。私が独立した直後、競合他社ながら、中川さんに国際税務の勉強会を開いてもらったこともあるぐらいです(笑)。

その後、中川さんは当時勤めていた会計事務所の異動で日本に帰国することになってしまいました。しかし、この中川さんの異動で、私たちのメリットが合致することになります。

中川さん自身もシンガポールでせっかく人脈を築いてきたのでシンガポールに拠点がほしい。私も、これからシンガポールへの移住や仕事を始めたいと思っている日本人に対応するために日本拠点がほしい。さらに中川さんもシンガポールを離れているとシンガポールの情報が入らなくなってきてしまうし、私も日本から離れていると日本の税務の知識が乏しくなってしまう。お互いがお互いの国に関することをフォローし合えばちょうどいい。そこで、2016年に一緒に仕事をすることになりました。

シンガポールを拠点にする強みは何でしょうか。

萱場:シンガポールに移住してこられる富裕層や起業家は、教育や安全、節税が目的です。物価が高くても品物は充実しているし、日本でよく見かける大型スーパーや百貨店もあります。さらに、日本語の学校や日本語の習い事もたくさんあるのです。そして外に出れば多くの外国人がいて、マレーシア、インド、オーストラリア、日本、韓国、いろいろな国の人がいます。住人の3分の1は外国人です。こういうマルチカルチュアルな文化の中で子どもを育てられて、言語もバイリンガル、トライリンガルになることも夢ではない。移住の理由としては節税より教育の方がずっと多いですね。

シンガポールと日本。大きな違いだと思われる点はありますか。

萱場:政府がとても優秀です。人口は580万人ほどの小さな国ですが、官僚の給与水準が世界一高いのです。だから優秀なエリートが公務員を目指します。アメリカの有名大学に行ったようなエリート中のエリート達が、シンガポールに帰国して官僚になるという良いサイクルになっています。なので政策も素晴らしいし、動きも早い。酒税やたばこ税も、発表のその日に増税することも多いです。もちろん人が少なくて国が狭いからできることなので、日本では真似できませんが。

遡れば、英語を公用語にしたのも大きいです。公用語は英語、マレー語、中国語、タミル語と4つ存在します。世界とアジアを繋ぐハブになって、モノの動き、人の動きの中心になるために、英語を公用語にしたのです。あと、暑いと働かないということで、国中にエアコンを整備しました。どこもギンギンに寒いです(笑)。いろいろな施策が合理的なので、民間が政府のやることに納得します。私たちはそういう政府の動きを間近で見ながらお客様に対応する仕事なので、特にシンガポール政府のすごさを感じますね。

異文化が混ざりあう国で事務所の代表をされています。メンバーとのコミュニケーションで意識されていることはありますか。

萱場:意識していることは2つです。1つは、メンバーみんながスキルをアップすること。もう1つはメンバーが仕事を楽しんで、幸せなワーキングライフを送ること。これは経営理念にも繋がります。

お客様から質問があり、答えが分からないときはメンバーが私や案件統括者に尋ねますが「どうしたらいいですか、と聞くのはやめよう」と話しています。「選択肢は①②③があって、自分ではどれが答えか自信はないけれど、選択肢①が良いと思います。理由は~~だからです。どうでしょうか?」と相談してほしいと。厳しいかもしれませんが、ただ指示されたことを作業をするだけであればその人のスキルは上がりません。CPACで働いていた人はみんな優秀だよね、とか、CPACで学んだあの時期があるから今があります、といったように、メンバーが皆、その長いキャリアの中で、当社にいる期間で最大限に成長して巣立っていってほしいのです。

とはいえ、会社はコミュニティなので、楽しくあるべきだとも思っています。皆で助け合って、ランチしたり、食事したり、そういう家族的な部分もあってほしい。こういうスタイルは、いいと思う人と嫌だと思う人と、世の中で真っ二つに分かれることは知っています。でも当社がそういう理念を持っていることは公表しているので、そういうスタイルが好きな人に入社してほしいですね。リモートワークが当たり前になったこの時代だからこそ、ITツールをフル活用しつつ、リモートが必要な場面(子供が病気など)では躊躇なく導入し、これまでよりもっと、リアルなコミュニケーションを重視していきます。

社内研修風景

全ての関わってくれる人たちへ、良い循環サービスを

今後の展望をお聞かせください。

萱場:経営理念の実現と、その維持を目指しています。みんなが満足して働いて、お客様にサービスを提供して喜ばれて、そして皆で達成感を共有する。そして、できれば業界最高値の給料であり続けたいし、メンバーの家族や世間からの信頼を得たいと思っています。シンガポール国内シェアNo.1、といったものには今のところ興味がありません。それよりも、関わってくれている人たちと楽しくスキルアップしながら生きていきたいですね。

経営理念の実現、とのことですが、まだ実現できていないと感じている部分はどういったところでしょうか。

萱場:現在、会社とメンバーとお客様が良い循環の中にいると思いますが、こういった良い循環が生まれるサービスをたくさん作りたいと思っています。

先日もお客様からお褒めの言葉をもらったのですが、当社は依頼された業務に留まらないから評価していただけるのだと思います。当社メンバーがお客様の従業員に対して財務に関する知識を提供していることを喜んでいただいたようでした。当社では、お客様の会社の従業員自身がBS/PLも見られるように、決算書がどういうふうに作られているものなのかを説明する勉強会を企画することもあります。例えば、これくらい資産と負債があって、自己資本これくらいだと安全ですよ、収支トントンになるにはこれぐらいの売上が必要ですね、といった財務分析や、最新のシンガポールのトピック(ビザや最近のニュースなど)や各種期限などをお伝えしたりしています。

なぜここまでできるのかというと、お客様自身が儲かっているから当社もきちんと請求できていて、その結果私たちも時間を使えるという良いサイクルの中にいるからだと思います。対応しているスタッフも喜ばれたら嬉しいし、こういった良い循環をさらに生み出していきたいですね。最終的には、クライアントにとってのコストセンターに留まらず、なんらかの売上にも貢献できるような事務所になれると最高ですね。

 

【編集後記】

実は過去にビザがなかなか通らなくてご苦労されたこともあったと語る萱場先生。シンガポールに在住したい思いからなんとか乗り越えたそう。インタビューはオンラインでの対応でしたがいつかシンガポールでお会いできることを楽しみにしています。萱場先生、ありがとうございました!

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CPAコンシェルジュ(Jグローバルコンサルティング株式会社 シンガポール事務所)

 

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2014年

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信頼され愛され自慢できる会社を全員で創る

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