遺言書に「花押」を書くことが果たして印章による押印と同視することができるか否かが争われた事件で最高裁判断が最近示されました。確定申告書には通常押印をしますが、「花押」を確定申告書に書いた場合、その効力はどうなるのでしょうか?

政宗の花押

天正18年(1590年)、陸奥国で「葛西大崎一揆」が起きました。

豊臣秀吉の奥州仕置によって身分が剥奪され所領を没収された葛西氏・大崎氏らの旧臣による、新領主木村吉清・清久父子に対する反乱です。会津黒川城主の蒲生氏郷は、この一揆が伊達政宗の煽動によるものであるとして、徳川家康や前田利家等、重臣達が見守る中、関白豊臣秀吉に訴えました。政宗は否定したものの、その一揆を煽動した「書状」が証拠として提出されたのです。その書状には、一揆を伊達勢が援助することや、政宗が兵糧、武器等必要なものを提供することなどが記載されていました。そして、その書状には政宗の鳥の鶺鴒(セキレイ)をモチーフにした花押が書かれていたのです。

この伊達政宗の花押を巡る騒動は有名です。

この花押に対して政宗は、自分の花押には、自分の書の偽物が出ることを想定し、習慣として、自分の書である証拠にセキレイの眼の部分に針で穴を開けていると主張したのです。歴史ものの書籍によると、政宗の主張を受けた秀吉は以前送られた政宗の手紙と、いま問題となっている「書状」に書かれた花押を比較したところ、この「書状」に記された花押には確かに穴があいていないということが明らかになり、政宗の疑いが晴れたとされています。

大変有名なこのくだりは、書証における印章やサインの重要性を物語るものでしょう。

この「花押」は、初め、自署の代わりとして発生したものが、平安末期より実名の下に書かれるようになり、のちには印章のように彫って押すものも現れたといいます。