主人公である26歳若手公認会計士が監査法人を辞めた勢いで独立し、せっかく安定したのに再就職して自分の居場所をだんだんと見つけていくフィクションライフスタイル。この物語に登場する人物や団体、事象はフィクションです。

前章『5.重宝される俺。舞い込む奇跡』

(関連記事)

・第1章 俺、監査法人辞めるわ

・第2章① 監査法人辞めた後の選択肢はなんだ~①そもそも俺は何がしたい~

・第2章② 監査法人辞めた後の選択肢はなんだ~②公認会計士としてキャリアを積んできた俺の強みはなんだ~

・第2章③ 監査法人辞めた後の選択肢はなんだ~③自己分析した状況を踏まえて選択肢をよく考えてみる~

・第3章 勢いでなんか独立してみた

・第4章 食いつなげる仕事、いや食いつなげた仕事というべきか

・第5章 重宝される俺。舞い込む奇跡

 

飲みニケーションを通じて増やした人脈を効果的に活用できるようになって売上先だけでなく、人脈は自分にとってクライアントの課題を解決する貴重な武器ともなっている。おかげで重宝されて、CFOなど大層な肩書きも頂けるようになった。

本章『6.独立して安定しているが感じる焦燥感』

重宝されるようになって2年ほど経ち、いわゆるフリーランスとして引く手あまたで大層な肩書きもあり絶好調だ!飲みニケーションで繋がっていく人脈も、単にちょっと上手くビジネスができている個人事業主やその延長線のような経営者ではない。メディアなどで話題となっている今をときめくベンチャーの経営者を紹介されたりするようになってきた。時には年配の上場会社の経営者なども紹介され、可愛がっていただける方のビジネスステージも飛躍してきた。

公認会計士の業務単価でせわしなく仕事が舞い込んでくるのでお金に悩むことなんてもはやない。最近付き合いのある友人達が当たり前のようにこれまでの自分からするとハイソな生活をしており、自分の価値観もだいぶ変わってきた。安く質素にだけが判断尺度だった衣食住が、品は大切にしながらもクオリティや付加価値が高いものを経験として楽しむということをするようになってきた。

例えば、これまで私服はファストファッションで無難なものを身に着けていたが、伊勢丹などで、なんとかブランドのハイファッションを購入するようになった。もちろん公認会計士として品位を損なわないように落ち着いた服を選んではいる。散髪も安くて速い近くの理髪店から、表参道にある人気の美容師友達の美容室でパーマもかけるようになった。

食事も美食に目覚めて食べ歩くようになった。予約の取れないとされるお店の食事会に呼ばれたりするほどだ。ちょっとしたご飯も適当にコンビニで買って済ませるのではなく、添加物が少ない手作りのものを選ぶようになった。

住むところも飾り気のない8畳の1K、駅徒歩8分の物件から、デザイナーズマンションで広めの1LDK、駅徒歩3分の物件に引っ越した。以前は宅配ボックスだけでも感動していたのに、今のマンションは受付がなんでもやってくれる。クリーニングまで預かってくれるのだ。部屋も3日に1回ハウスキーパーさんが来てくれる。手間で使う労力や時間をお金で解決している感覚だ。

正直モテるようにもなった。以前の俺は見向きもされなかった。今から考えたらそりゃそうだ。無難な服装、安くワイワイできたらいいや、で食事や雰囲気にこだわらない、そんな感じで生活にこだわりや楽しみといった遊びの要素がないから、会話も基本ビジネスばかり。それが最近は、衣食住について1つ1つの体験から知識が蓄えられていて、自分の好みやどんな人がどんなものに合うかなど、こだわりの話まで豊富にできるようになっている。最高のナビゲーターだろう。簡単に言えば、デートで提案してエスコートが当たり前のようにできるようになったのだ。

いわゆるフリーランス公認会計士というより、もはやバリバリ公認会計士だ。同業の公認会計士たちからも成長ぶりに称賛を頂いている。自分にメリットがなくても人脈を紹介したり相談に乗ったりとみんなの役に立ちまくっているため、ついこの間まで地味男の代表のようだった自分としてはいやらしいくらい謳歌しているつもりだが、意外とやっかまれることもない。

だけど1つだけおかしいことがある。ここ1年ほど焦燥感が日に日に昂ってきているのだ。最初はモヤっとする程度だったが、だんだんと気になることが多くなってきた。最近はその正体が気になって仕方なくなっている。一人でゆっくりとした時間を過ごしていると、特に焦燥感を大きく感じる。環境の変化がここ3年ほど大きくて自分がついていけてないだけなのかとか、寂しがりで人とずっと一緒にいないといけない性格なのかとか、色々考えてみたがしっくりくる理由はない。すべてが順調でやりがいも感じているのに何が足りないのか。自問自答し続けていた。周りの友人に聞いても、それ以上の欲張りはダメだぞと諭されるような状況だ。もちろん気がふれそうだとかそういう病的な感じではない。ただ何か焦りや違うということを漠然と感じているのだ。

 

ちょうどそんなときだ。友人が社長を務めるクライアントがIPOに成功した。東京証券取引所で鐘を鳴らしていた。M&Aの財務調査など重要な仕事を担当させてきてもらったのもあり、IPO記念パーティにお呼ばれした。

そこで気付いた。おれはたくさん仕事をしているが、万事屋なんだ。万事屋ではこういった大きな成功を得られないのだ。たしかに1つ1つのプロジェクトは単価もいいし、面白い。しかし、成し遂げたと思えるようなことは訪れないのだ。

 

実際、IPOを成功させたクライアントに対して純粋に「おめでとう!」と思えたが、「やったね!」ではなかったのだ。クライアントが必死に頑張ってきたことを身近に見てきたから自分事のように喜んだが、自分事ではなかった。自分はあくまで外の人間で、一緒に成功したわけではない。貢献はしているが俺は一員ではないのだ。当たり前だが、、。

クライアントの従業員たちは喜々としている。ストックオプションに価値が出たとはいえ、そんなに価値が高いほどの割合があるわけではない従業員たちだから経済的に直接計測できるメリットはないはずだ。IPOのためと思って頑張って走ってきたことが報われた喜びで騒いでいるのだ。学生時代の部活の大会で勝ち上がり、優勝を成し遂げたような雰囲気だ。

 

俺は傭兵なんだ。戦争に勝ってもおれの勝利ではない。金で雇われてちょっと特別なシゴトをこなしているだけなんだ。それはそれでカッコよさも感じるが、他人軸で生きていて主体性がない。自分がないと感じる。役には立っているが、自分じゃなくていい存在なのだ。

 

公認会計士と言う仕事はニーズが必ず世の中に生じるもので、その仕事をできる人間は限られた数しかいない。ちゃんとその専門性をこなすことができて、営業とまで言わなくても人付き合いがそれなりにできる人間が仕事に困ることはない。お客様からは感謝もされる。先生と呼ばれて立場もいい。業務自体も専門家として面白いと感じる矜持もある。

 

しかし、これらは条件的な要素でしかない。どんな公認会計士としたキャリアでいたいかという自分の特性に合った志向性を考えてみると十分な要素ではないわけだ。

俺の場合、キャリアをどう志向していたかと言えば「自分だからこそ役に立つことで貢献して何かを成し遂げたい」そう思っていた。たしかに今の俺は「自分だからこそ役に立って貢献している」しかし目の前に見つけた仕事を拾い続けているだけで「何かを成し遂げる」そんな要素がないのだ。

 

人生ずっと何かを成し遂げるために走り続けるという事は望んでいない。しかし、1度は何かを成し遂げるための人生を歩みたい。俺に無かったのはゴールだったのだ。登るべき山がないのだ。

 


次章『7.ポジティブなベンチャーへの再就職』は近日公開!

【youtuberとしても活動中:お金のカラクリ侍

 


バナーをクリックすると㈱レックスアドバイザーズ(KaikeiZine運営会社)のサイトに飛びます

最新記事はKaikeiZine公式SNSで随時お知らせします。

 

◆KaikeiZineメルマガのご購読(無料)はこちらから!
おすすめ記事やセミナー情報などお届けします

メルマガを購読する