反発分子による曲解
しかし、重臣・藩士らの中には、作非の進める改革を面白く思わない保守的な者もおり、戒石銘という通達の曲解が始まります。
当時の民衆や下級武士のリテラシーは低く、漢文を読めるものはごく一部の者に限られる中、反作非派は「下民は欺き易く、虐げても民の膏脂をしぼり、もって自分たちの俸禄とせよ」と読むものであるとして、藩内に誤った解釈を広めたのです。
かような反対工作は農民一揆も引き起こし、やがて作非は隠退を余儀なくされ歴史の舞台から去っていきます。
今でこそ、戒石銘は重要な公務員倫理を語るものとして、しばしば引用される名文と理解されていますが、通達の解釈の誤りが混乱を招いた事例としても学ぶところが多いのではないでしょうか。
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